対という考え方

その後、私はBeingとDoingのみならず、2つの対からなるコンセプトは、様々な領域に存在することに気づきます。

たとえば、私たちの脳機能です。私たちには右脳と左脳があり、まぎれもなくその両方が必要です。一般的に、右脳は創造的・芸術的・直感的な脳と言われ、左脳は分析的・合理的・論理的な脳であると言われているようです。

また、空間認知は右脳優位で、言語は左脳優位とも言われています。

想像を豊かにしてみると、こうした右脳・左脳の対は、先に述べていたBeingとDoingの対と、少なからず接点があるようにも感じました。

Beingという非常に言葉になりにくい心の状態・あり方をとらえるためには、右脳優位の直感的なアプローチが必要です。また、Doing(行動する)を推し進める時、左脳優位の言語や論理の活用が助けになるのです。

奇しくも、脳の専門家は、人を左脳型・右脳型と分類するよりも、大切なのは、両者のバランスを鍛え、その相乗効果を高めることだと伝えています。

こうした専門家の言葉に触れる度に、対をバラバラにとらえるのではなく、双方の補完関係に着目して高めていくことの大切さを、私は感じていきました。更に、2つの対からなるコンセプトは、古くからの智慧として伝えられていることも学びます。

例えば、陰陽論がその1つです。

ウィキペディアによると、陰陽論は、中国の思想に端を発したもので、受動的な性質である「陰」と能動的な性質である「陽」の対を表しています。

これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ないとのこと。そして森羅万象のあらゆる物は、この陰と陽の二気によって消長盛衰し、この二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる、ということです。

この「自然の秩序が保たれる」という言葉に私はピンときました。なるほど、自分が実践を通じて学んできたことは、陰陽の調和を通じて「人の中にある自然の秩序を保つこと」だったのかもしれない、そう思ったのです。

古くから伝えられている思想とつながりを感じられたことは、大きな励みになりました。更には、マヤ文明の古い智慧にも、この対の考え方があることを学びます。

エハマ研究所の創設者であるウィンドイーグルとは、2008年に出逢い、以降、私のメンター・親しい友人として親交を深めてきました。

彼女から、マヤ文明では、私たちの内側にある女性性と男性性の静と動のエネルギーを、自然を含むあらゆる生命の根源的な2つの性質と捉えていることを学んだのです。

こうした智慧にふれたことは、私にとってとても貴重な体験でした。なぜなら、これまで実践から学んできたことの本質を理解できたような気持ちになったからです。

そして、私は、数ある対という考え方を自分なりに統合する中で、女性性と男性性という名前に最も惹かれました。

なぜなら、対という性質を深く学ぶうちに、私は、2つはまるで自分を見守る母性と父性のような内なる「存在」のように感じたからです。

この2つの「存在」は、性別に関係なく、誰の中にも両方存在し、私たちを様々なやり方で支援してくれるように思えたのです。こうして私は、内なる女性性と男性性について、更に深く学んでいくことに没頭します。

そして人の成長・変容を支援させていただく上でも、実践を通して活用してゆくようになったのです。