一九七〇年 夏~秋

1 通信簿と子猫の死

「またおまはんは、しょうもないことしたんで」

母はうんざりした顔で作業場へ行ってしまいます。

「惨(むご)いことしくさって」

祖父は自転車の荷台に段ボール箱を括り付けて家を出て行きました。大人たちは午後の仕事をはじめました。父が回転刃のついた機械に白瓜を通していきます。

女たちは針金をループ状にした器具で、二つに割られた瓜の髄(ずい)をくり抜きます。私が手伝うのもこのさね抜きでした。生温かい植物の種子(しゅし)は、まるで陽光の凝縮物(ぎょうしゅくぶつ)であるかのようです。

「もっとちゃんと取らなよ」

母が見かねて言いました。私の処理した瓜には取り残しが目立っています。いつもより下手なのは、子猫のことが頭から離れないせいでした。

貧乏揺すりが止まらず、微妙に手元が狂ってしまいます。喉は渇き、冷たい汗が背筋を伝いました。さね抜きの終わった瓜が溜まると、塩をまぶしてタンクへ並べていきます。

庭に掘られたコンクリートのタンクは、二坪ほどの広さと二メートル以上の深さがありました。タンクは敷地内に三つあり、これに八反の畑で栽培される白瓜を漬け込みます。一家総出で夏中かかる大変な作業でした。

自転車の錆さびたチェーンを軋(きし)ませて、祖父が帰って来ました。私と祖母の間に座り、咥え煙草をしながらさね抜きをはじめます。段ボール箱は荷台からなくなっていました。

「忘(わ)っせんうちに矢部しぇんしぇに電話しとかんと」

手は動かしたまま父が言いました。矢部先生は近くで開業している獣医師です。当時我が家では酪農も行っていました。母屋に隣接した畜舎で乳牛を飼育しており、生乳や種付けして産ませた仔牛を業者へ出荷します。色々とやらないと農業だけでは食えないのでした。

「いつ産まれるんぞ」

「今夜になりそうじゃな」

五頭いる雌牛のうちの一頭が産気づいていました。難産の場合は電話一本で矢部先生が駆けつけてくれます。

「まあいけるじゃろ」

祖父は根元まで吸った煙草を指で揉み消しました。

「なんぞあったらほのときでええ」

出産経験の豊富な雌牛でした。

「ジイちゃん。猫死んだん」

私は祖父に聞きました。

「せこそうにしょうったけん楽にしたったわ」

祖父は『大垣(おおがき)の堰』へ行って来たのでした。段ボール箱は川へ捨てられたのです。前にスピッツのベロが死んだ時も、死骸は川へ流されました。家の敷地に畜生を埋葬してはならないからです。

「僕が殺してひもた。どなんしょう」

贖罪(しょくざい)の意識より、罰(ばち)の当たる恐怖が勝っていました。

「おまいが悪いんとちゃう。寿命じゃよ」

意外にも祖父は私を擁護(ようご)してくれました。

「神さんが決めるこっちゃ。ほれを寿命と思うしかない」

「悪いことしたら寿命を短こうされへんの?」

「なんちゃ悪いことしとらんでも早死にの人もおる」

南方の島で戦死した自分の兄の話を祖父がはじめます。祖父自身は徴兵検査の時にたまたま肺炎を起こしており、肺病と誤診されて出征を免(まぬが)れていました。九死に一生を得たのは神仏の御加護だと、自分の幸運を自慢していました。

「化けて出えへんかな」私は上の空でした。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『金の顔』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。