帰りは途を変え、丘の上にある常陸太田の繁華街を見学しながら駅に至る。商店街が尾根のような場所にあるのも不思議であった。次いで水戸の常磐共有墓地に向かう。水戸駅の北西3キロほどの所、松本町にある。

幕末維新の殉難者を祀る回天神社と隣り合っているが、もともとは回天神社自体共有墓地の一画に創建されたもののようである。斬殺された宍戸藩士や榊原勢はこちらに祀られている。神社の裏手には、天狗党勢が閉じ込められていた鯡蔵が一棟、敦賀から移築されている。

神社に参ってから新左衛門の墓を探す。共有墓地全体はそれほど広くはない。墓石は密集しているが管理が行き届いており、白い木柱に名の明示された山中の墓はすぐに見付けることができた。すでに低く傾いた晩秋の夕陽が、西向きのその小振りな墓石を薄赤く染めていた。

別の日、宍戸藩の陣屋跡を訪ねた。陣屋は、常磐線で水戸駅より三つ四つ東京寄りの友部駅から水戸線に入って最初の駅宍戸駅の近くにある。栗の木の多い一帯の栗の花の季節で、その日は一日、栗の葉の繁りの内側から溢れ出るようにして咲く栗の花を見ながら歩いた。

陣屋跡には小高い土山の上に神社が祀られている。そこにあった笠間市教育委員会の説明板では、この争乱での宍戸藩の犠牲者は63名を超すとされ、また頼徳の辞世の歌が次のように記されていた。

思いきや 野田の案山子の 竹の弓 引きもはなたで 朽ち果てんとは

※本記事は、2019年11月刊行の書籍『歴史巡礼』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。