読書感想文はミニ学術論文 大学院での論文執筆への種まきは、小学校からはじまっていた

「“読書強制“」に関して、結局お前はどちらを勧めるのだ、読書感想文はやらせた方がいいのか、やらせない方がいいのか?」という声が聞こえてきそうですが、学童期における作文や読書感想文は、もちろん必ずやらせるべきです。

「読書嫌いの生徒がいるから、感想文はやらない」という理論が成立するなら、「計算の苦手な子は、さらに嫌いになるから算数は廃止にする」、「体育の苦手な子が、さらに嫌いになるから運動はさせない」という道理がまかり通ってしまいます。

苦手だろうがなんだろうが、やらなくてはいけない時期はやがてきます。幼いうちは、嫌だからやらない、それで通るかもしれません。しかし、高等教育を受けるくらいからは、嫌でもやらなくてはならないことが出てきます。

そこでは、レポートやら論文やらの提出を求められるようになります。場合によっては、研修のための準備、資格試験の勉強(TOEIC、簿記、ファイナンシャル・プランナー、ITパスポート試験、基本情報技術者試験、弁理士、宅地建物取引士など)、就職のためのエントリーシートなどなど……。読書習慣や書くことを疎かにしていた人は、そのときに猛省することになります。「ああ、あのとき読んで書く練習をしておけば」と。書くことは書くことでしか学べなかったということを痛感するのです。私がそうであったように。

前項で述べたように、書くという作業を余儀なくされたのは、大学院に進んでからでした。いわゆる“医学論文“を書くようになってからです。大学院に進んだのは、診療だけでなく、医学研究からも医療の側面を覗いてみたいと……、長い医療人生活を送るにはそういう経験ももしかしたら大切ではないかと……、血迷ったからです。

そこで行われる研究は、「病気に関する過去の論文を読み込み、解明されていない部分においての作業仮説を立て、実験を繰り返すことで検証していく。一定の見解を得たら、論文として丁寧にまとめて発表する」という作業の繰り返しでした。そして、学術論文の神髄は、「いま、このテーマについてはこんな研究があって、この研究者はこういうことを、別の研究者はああいうことを提唱している、それを踏まえたうえで、自分はそのどれでもなくこういう見解である。そして、残された課題はこうである」というようなことを、解りやすく矛盾のないように記述していくのです。

論文の醍醐味は自分の考えを、説得力をもって他人に伝えること。翻って読書感想文は、その著者の意見に対して自分の考えを主張していく、言ってみれば「ミニ学術論文」だったのです。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『非読書家のための読書論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。