私達は「アル」という犬を飼っている。三代目となる犬だ。犬を飼い始めたのは、幼い一人息子にせがまれたことがきっかけだった。その息子もすでに四十歳を過ぎ、家には滅多に帰って来ない。

初めて飼った犬は「オイ」という名前だった。息子が「おい」とよび止めたことで、それがそのまま名前になってしまった。京子は犬の名前を呼ぶのを嫌がっていた。よく三人で代わる代わるリードをもって前後して散歩をした。

「あっ、あー、(オイ)ダメ。ダメ」と京子が慌てて取り押さえようとしても、オイは振り向きもしない。リードを持つ順番が幼い息子に移っても、オイはぐいぐい引っ張る。息子は泣きそうな顔で走っていたけれど、それでも最後までリードを離さず、はるか先の堤の中段で踏ん張っていた。

三人と一匹で気持ちを共有していた頃の懐かしい記憶を思い出しながら、今では一人、アルと高梁川の河原を散歩している。

この川は水島工業地帯に水を送るほどの一級河川だが、いつも真ん中だけしか流れていない。堤の裾から少し低くなった所に、野球場があった。そこを朝の五時頃散歩をした。子供達が使用した後は、板レーキで筋がつくほど気持ちよく整地されていた。

日中の日差しが強く、熱帯夜になった翌朝に、たくさんのミミズが地中への放熱で、夜のうちに這い出していた。陽が昇ると干物になって死んでいくか、鳥に食べられる。何の理由で大切な命をさらすのかよく分からないが、アルの糞処理をするために持っていた火バサミで、『京子を助けて』と一匹、一匹に念じながら、叢の中に戻してやった。

それまでリードを引っ張って、行き先を勝手に決めていたアルは、前足に顎を載せて、傍であきらめ顔でへたり込んで耳を垂らして、私のすることをじっと見ていた。

妻は、対象が人以外というのに意外性を感じたのか、瞬きを数回、不規則に繰り返して優しく微笑んだ。

「ごめん。こんなことしかできなかった。でも、たくさんの命を救ったんだよ」と私はつぶやいた。とうてい妻の気持ちを救えるとは思えず、やはり恥ずかしかった。

京子を家に連れて帰れなくなったという後ろめたさもあって、少し憂鬱になった。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ALS―天国への寄り道―』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。