第一章 ヨーロッパの発見 (多様性と歴史の深さ、ナショナリズムの変容と地域主義の台頭、イギリス王朝史他)

(2)1998年1月24・25日(土・日)プラハ紀行-奥さんにミンクの毛皮を着せて歩きましょう-

 

土曜、日曜の二日間で中欧の古都、百塔の街チェコのプラハに行ってきました。

ドイツ圏駐在が通算10年になる某都市銀行検査部ロンドン駐在員が「冬のヨーロッパ観光はウィーン、プラハ、ザルツブルク等の中欧の都市がいい」と勧めてくれたのが理由です。

南欧、西欧の都市は建物の色がえんじ色、乳白色で春、夏の強く、明るい日差しによく映えるのに対し、中欧の都市は全体的に暗くくすんだ感じで冬のどんよりした曇り空と、肌を刺すような冷たい風がなんとなくマッチするような気がします。

夕方は4時頃には暗くなり始めますが主要な建物はライト・アップされ、特に市の中心部を流れるモルダウ川越しに見える夜のプラハ城の眺めはなかなかの物です。

春・夏は逆に夜9時10時まで明るいでしょうから凍る冷気とライト・アップされた建物を楽しむには冬の方がいいかもしれません。

 

某都市銀行のロンドン駐在員からも、また旅行会社の担当者からも「寒さの準備は充分に」とアドバイスを貰っていましたが、(ヨーロッパ・アルプスを登るかもしれないと思い)日本から持ってきた登山用品が役に立ちました。

サンフランシスコ留学時代に買ったThe North Face社製のダウン・ジャケット(ヒマラヤで使うやつです)、ヴィブラム底のチロリアン・シューズ、純毛の長下着、The Scotch House社製のカシミヤの手袋、マフラー、という冬山並みの装備で息が凍るような町を歩いていると、山の会で行った冬山を思い出しました(元エンジニアリング会社社員で弁理士のFさん、1973年12月の木曽駒ヶ岳初冬合宿は良かったですね)。

 

そういえば、女性の毛皮姿をよく見掛けますが、日本と違っていやみがなく自然です。プラハの栄光の時代は、神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)皇帝カール4世(在位1346~1378年)がプラハを帝国の首都と定め大司教座を置いた時に始まります。

聖ヴィタス大聖堂やカレル橋は皇帝の時代に建設が始まり、ハプスブルク家に帝位が移り三十年戦争(1618年~1648年)でプラハが大きな被害を受けてウィーンが首都に定められるまで、中欧の中心地として栄えました(三十年戦争はハプスブルク家の宗教政策に対するプロテスタントのプラハ市の抗議が始まりです)。