草むらの中に見え隠れする

白い頼りない糸をひたすら辿る

他の糸と絡みに絡んで

癇癪を起こしそうになるのをぐっとこらえて

辿り続ける

何回か日が沈んで

日が昇って

疲れたら草むらで眠った

これだけ井戸があるのだから

他の誰かと出喰わすこともありそうなものだが

なぜだか誰とも出会わない

そしてようやく

自分の井戸の縁に立つ

糸は黙って井戸の中に垂れ込んでいる

だから間違いはない

間違いはないはずだが

容易に覗き込めない

そこにいるのは見知った自分だろうか

浅ましい姿を目の当たりにしやしないか

しかし

それでも

ここまで来て引き返すわけにもいくまい

恐る恐る井戸を覗き込む

すると

案外に以前と変わらない自分がいて

こちらを見上げている

私と気付いているのかどうか

ぼんやりと見上げている

井戸は深く

手を伸ばしてみても届きそうになく

もちろん向こうは自力で這い上がるつもりはさらさらないようだ

糸電話のこんな細い糸をたぐり寄せても

引っ張りあげられるわけもなく

最初からそれしかないとはわかっていたが

覚悟を決めて

石組みに足を掛けて

そろそろと降りていく

わずかな凹凸に指を掛け

次の凹凸を靴の先でそろそろ探りながら

なんとかこのまま降りられそうだと思った瞬間

足を滑らせて

息が出来なくなるほど

したたかに背中を打った

うめく私を私が心配そうに見つめている

やがて痛みが引き

大きく息を吐いて

井戸の底に大の字になる

頭上には丸くくり抜かれた青空

なるようになったものだと

我ながら呆れる

隣の私も膝を抱えて空を見上げている

そろそろと起き上がり

並んで膝を抱える

さてこれからどうするか

別段しばらくこうしてたって構いはしないのだ

街は咎めやしない

足元に糸電話がころがっている

いやいや今となっては糸電話ではなくて

これは井戸電話

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『苦楽園詩集「福笑い」』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。