吉村以外の調査でも、ひとりで産む出産体験の報告が散見されます。藤田は、1978年に山梨県の長寿村を訪れ、明治20年生まれの女性からひとりで8人の子どもを産んだ出産体験について聴き取り、松岡は、北海道で12人の子どもをひとりで産んだ明治34年生まれの女性の出産体験や、岩手県で1920年代生まれの女性の出産体験について聴き取っています。

そして、「岩手県の山間部で出産した女性は、出産するときに姑は近くにいて様子を窺っているものの、子どもが生まれてしまうまでは人に見てもらいたくないため、産むのは実質的に自分ひとりであった」と言います。

お産は、自分でするものだけれども他者からの何らかの援助が必要になることがあります。そして羞恥心を伴う行為であるため、周囲はプライバシーに配慮しつつ見守る。そういう文化であった様子が窺えます。

吉村は出産習俗の変遷について表に示し、「自分ひとりで産む、あるいは取り上げ婆さんの介助によるお産は、お産の決定者は産む人自身で、分娩姿勢は、坐産、立位、四つん這いなど、産婦が産みやすい姿勢が優先されており、お産情報は、出産体験に基づいた主観的、体験的情報が正統とみなされていた。

そして、免許持ち産婆によるお産が行われるようになって、産婦の分娩姿勢は、上体を起こした自分で産み出す姿勢から、助産の専門家の産ませやすい仰臥位となり、お産の主体は妊産婦自身から専門家へと移行した。さらに戦後、出産が施設に移行したことで、お産の決定者は、産婆(助産婦)から産科医へと移行した」ことを説明しています。

なお藤田は、このように免許を持つ産婆が現れ産み方が変化した過程を「第1次お産革命」と言い、戦後、出産が施設に移行しお産の決定者が産婆から医師に移行した過程を「第2次お産革命」と言っています。そして、「〈第1次お産革命〉の担い手が女性であったのに対し、〈第2次お産革命〉の主役は男性の医師になった」と言います。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『私のお産 いのちのままに産む・生まれる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。