会社では落ちこぼれ社員だった

私は三十二年間、保険会社に勤務した。日本全国を転勤で動き回った。創業から長い歴史を持つ会社は、良かれ悪しかれ色々な企業文化を醸し出している。若いときは、世間の常識がすべてと思っていた。会社人生の多くをライン長としての異動で明け暮れていた私は、世間の常識と会社の常識とは違うことをこの三十二年間で思い知らされた。世間の常識に沿って活動してきた私は、異動ごとに問題を起こしてきたものだ。

初陣の福岡での特命所長時代。自らの指を切っての保険金詐欺事件。単月にその事務所で七件発覚し、私の調べで完璧に詐欺事件であることが証明できた。支社の責任者に本社報告を促すと、

「それは、通常の手続きとして書類を整理して保険課に送付すればいい」

その一言に私は、納得できず、食い下がった。それ以来、その事務所には、何かと風当たりが強かった。後程、先輩に聞いた情報によると、責任者は、本社から嘱望された人材で将来役員の席が決まっているという。彼は、面倒なことは嫌なのだ。

次の問題は、東京のど真ん中の社内で集金件数の一番多い拠点長時代。安易な報告事件。バブルが終了する頃のライン長会議の場で全ライン長が自営業所の業績予定報告を発表する時、他のライン長は、バブルが崩壊したため、本社指令額が現状と合致していないことを知りながら、出来もしない数値で上司が喜びそうな数値を報告する。私は、現状分析した数値に若干期待数値を積み上げた数値を報告した。

その数値が責任者には納得いかず、会議中にみんなの前で責任者と乱闘騒ぎ。将来を嘱望される責任者との取っ組み合いである。メガネが飛んだ。会議終了後、退社を考えたが家族の顔が目に浮かび、退社することを、奥歯を噛みしめ我慢した。

次は、近畿でのライン長時代。書類紛失責任事件。重要書類を本社のある部署が紛失し、その責めをこちらの営業所に求め、契約者宅に詫びを入れて書類を再取り付けせよという。理由がはっきりすれば人間のやることだから間違いはある。本社は、その理由をかばって言わない。

私は、納得できずに翌日、有給休暇を取り朝一番の新幹線に乗って本社に向かった。本社に着くと、びっくりした。尊敬に値する幹部も居り、会社を見直した。

「君の言う通りです。大変申し訳の無いことをした。君の申し出の通り行いましょう」

今でも、その幹部の名前を憶えている。