第一章 宇宙開闢かいびゃくの歌

そして一九四四年の運命のインパール作戦です。ビルマから英領インパールまでインド英国軍へ打撃を与えるための進軍制圧。ボースは国民軍との同行を許されず、ビルマに残りました。

私が思いますに、この作戦はもっと早期にせめて一九四二年までに行うべきでした。連合国軍に劣勢を強いられ、制空権も奪われていたあの情勢では圧倒的に不利でした。あれは日本の、ボースに対する情があったとする見方がありますが、私にはその気持ちがよくわかる。また雨季が予想以上に早く訪れ日本軍とインド国民軍を悩ませました。補給を軽視したことも代償大きくのしかかってきました。

ビルマからインパールまでの行軍は当初は比較的うまくいっていました。インパールに着いた時、インド国民軍兵士は大地に伏してインドについた感激を隠しきれなかったといわれます。しかし戦闘は過酷でした。空からのイギリス軍の攻撃、背後からの連合国軍の攻撃に作戦はままならず、飢えと罹り患かんでつぎつぎに泥濘でいねいのなかに死体は埋まっていきます。

このときイギリス陸軍の先陣を切らされていたのが、当時世界最強の歩兵と言われたネパールのグルカ兵でした。アジア人同士で戦わさせ、白人はそのあとでおいしいところをもらっていく。非常に汚いやり口です。日本兵たちはインド兵の前に立ち、体を張って攻撃を受け持ちました。その姿にインド兵たちもグルカ兵たちも、日本軍の気高けだかさを感じ取ったといわれます」

ハービク所長はそこで息を継いだ。目にはかすかに涙がにじんでいた。傍らのハマーシュタインも、涯監督も瞑目したまま言葉を発しなかった。

「補給もままならず攻めるに困難。飢えとマラリア、風土病でみるみる死体の山。雨季の大雨は容赦ようしゃなく兵士たちを打ち据えていきます。ついにインパール撤退の決断が下されます。それは悲惨という形容を超えるものでした。豪雨の中、びしょぬれで武器もままならないで幽鬼のようにぬかるみを歩いていく日本軍とインド兵。イギリス軍の空からと背後からの攻撃は情け容赦もありません。後に白骨街道と呼ばれた撤退ルートでした。

おびただしい何万という飢えと病に倒れた日本兵とインド兵の白骨が点在するその街道に行ったことはありませんか。私はこのコルカタから何度も現場に足を運びました。私の愛する人の骨を探すために。それは私の祖父でした。そうです、祖父マヘンドラ・ハービクはインド国民軍のインパール派遣軍の兵士だったのです。撤退行軍中に戦死をしたことまでわかっているのですが、現場のおびただしい白骨の中に彼を探し出すことは困難でした。いまは、ひたすら彼の冥福を祈るのみです……。