母がまだ、認知症になる前、骨折して入院した際に同じ病室に胃ろうを施された患者さんがいらっしゃいました。そのときは胃ろうに関して、今ほどの知識はなかったのですが、患者さんの親族と思われる人が、病院のいうなりでなにも反論もせず、転院させられていくのを見ました。

病院との話し合いはあったのだと推測しても、かなり強引なやり方に私には映りました。母はこのときの患者さんの姿に大変ショックを受け、私に「絶対に延命治療はしないでちょうだい」といいました。

そのあと、私は自分の入院や、その過程で知り合った人の話などを参考にして、自分の両親を看取るときの見解にいたったのです。私とは違った意見があっても、それは人それぞれだと思います。また、終末期医療にまで到達する人もまた、その人の運命で家族と一緒にいる時間が長く持てて、幸せなことかもしれないと今では考えます。

救急搬送された病院で、母は肺炎と診断され、かなり危ない状況だと告げられました。母が危険な状況にあったわずか4か月後、同年の6月に父が亡くなるのですが、このときは父はまだ健在で、相前後して父母が他界する結果になるとは、思いもしませんでした。

母のほうが症状が悪くなるのが早かったので、もしかしたらと覚悟のようなものが、私のなかに芽生えました。重篤な状態を持ちこたえ、母は1週間後に生還しました。でも、それから眼を開けて、私と意思疎通がある会話をすることはありませんでした。

母の終末期についての話し合いが、担当医とケースワーカーと私のあいだで何度も持たれました。私は胃ろうに関して調べ、ほかの病院の医師の話や、経験者の家族の話を聞いたりして、断固として拒否しました。私の意志を尊重してくれる病院だったので無理には勧められませんでしたが、強く胃ろうを勧めてくる病院もあると聞きました。

親に胃ろう処置をしても、1日でも長生きしてほしいと考える人の話も聞きました。寝たきりの高齢者をたくさん収容して、介護が行き届かずお金儲けをしていると思われる病院もあります。

結局、母は太腿の付け根にある大腿骨付近の静脈に、高栄養輸液を点滴で入れて、カテーテルにより排泄を行うという方法で生きながらえることになりました。桜の花が散るなかを、迎えがきて長期療養型病院へ転院しました。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『花びらは風にのって』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。