FITが動き出した年、ドイツにQセルズが発足

さて、ドイツに返りますが、FITが動き出した年にドイツに、高い性能と高い品質を謳って、小さな新規太陽電池会社のQセルズが発足しました。ちょうど強化されたドイツのFITが発効し、在来型電力のコストの5倍に当たる補助金が期待できるようになりました。2003年から2004年にかけて、Qセルズの事業は急成長し、2007年には世界一の太陽電池メーカーになっていました。

一方、このころ日本の経産省(通産省の後身)・資源エネルギー庁はFITではなく、固定枠制度(RPS。電力会社に総発電量に対する一定割合の再生可能エネルギーの電力を利用することを義務付けた制度)を導入しました。その前にEUにおいて、FITとRPSのどちらが再生エネルギーの普及に効果的かという議論が大いにあり、FITが明らかによいという結果が出ていたにもかかわらず、日本はあえてRPSを導入しました。

そして、2002年から2010年までの8年間で、新エネルギーの割合を0.3%から1.35%へと増加させるということを目標値にしました。これは同時代のヨーロッパなどの多くの国が2桁の数値目標を掲げていたことと比べてみれば、日本の目標値はみみっちいもので、経産省と電力業界は、自然体でやっていれば、もっと伸びた再生エネルギーを、固定枠制度(RPS)の導入によって、1.35%の範囲に抑え込むことに成功しました。

さらに追い打ちをかけるようにして、国の住宅用太陽光発電への補助金が2005年に打ち切られました。RPSの枠内でやればいいとなったのでしょう。日本の太陽光発電の市場が縮小を始めたのはこの年からでした。2004年にはドイツに抜かれ、その後に差が一気に拡大しました。国会などで問題となり、日本政府も2011年にFITに切り替えましたが、その後も太陽光発電に抑制的であることには変わりがないようです。

原発一辺倒になった日本のエネルギー政策

このような日本のエネルギー政策の背景には地球温暖化問題がありました。京都議定書が締結された翌年の1998年、 通産省は「2020年までに新たに原発を20基つくる」という計画を公表し推進しました。ドイツのエネルギー政策に対し、日本の政府は、とにかく、現状(電力業界の現状維持)の延長、つまり、地球温暖化問題には原子力を伸ばしかく、現状(電力業界の現状維持)の延長、つまり、地球温暖化問題には原子力を伸ばしていくしかないと決めつけてエネルギー政策を立てたようです。

1990年代後半から福島原発事故が起きる2011年までの、起きてからも安倍政権になってからのエネルギー政策が、かつての通産省の柔軟なエネルギー政策であるベストミックス、つまり、いろいろなエネルギーをベストにミックスして使うというエネルギー政策より、より硬直化してしまいました。

その当時(2011年3月の福島原発事故が起きる前)の国のエネルギー政策であるエネルギー基本計画は、2010年6月に改正されていましたが(福島原発事故が起きる9ヶ月前で、このときは民主党政権でした) 、その一部を抜粋しますと、「……具体的には、今後の原子力発電の推進に向け、 (中略)…まず、2020年までに、9基の原子力発電所の新増設を行うとともに、設備利用率約85%を目指す(現状は54基稼働、設備利用率は2008年度約60%) 。さらに、2030年までに、少なくとも14基以上の原子力発電所の新増設を行うとともに、設備利用率約90%を目指していく。これらの実現により、水力等に加え、原子力を含むゼロ・エミッション電源比率を2020年までに50%以上、 2030年までに約70%とすることを目指す」 とあります。

ゼロ・エミッション、つまり、全く二酸化炭素を出さないものの電源比率という基準を設けて、 「水力等に加え、原子力を含む」といかにも水力が主力のようにしていますが、もう、水力は数%にすぎないのですから(等には太陽光発電なども入るでしょうが、この時は太陽光発電もかつてより比率を落とし1%以下でした) 、実質は原子力が主であり、 2020年までに50%、2030年までに70%にすることを目論んでいたのでしょう。

2011年に福島原発事故が起きるまで、国民も政治家も日本のエネルギー計画などに注目しなかったでしょうが、官僚と電力業界では原子力を70%にもする原子力一辺倒の計画が福島事故の9ヶ月前に成立していたのです。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『「グローバル・サンシャイン計画」で防ぐ劇症型地球温暖化』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。