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絡み合う複雑な感情

どんな人でも、人生で3回ほめられるといわれます。生まれたとき、結婚したとき、そして死んだときです。

私の場合は、望まれていたのは男の子で、生まれてみたら女の子だったので、父はたいそうがっかりしました。1800gの未熟児で、健常者として生まれてこなかった私をめぐって、両親はいさかいが絶えませんでした。

私は常々思うのですが、子どもができなかったり、生まれた子どもに異常が見つかったりすると、どうしてそれらはすべて母体の責任にされてしまうのでしょう。

現在はだいぶ改善されてきて、不妊は男性にも問題があることが知られてきました。それでも生まれてきた子の先天性の病気は、まだまだ無理解な人たちによって、女性だけが責められる風潮を感じます。だから、セクシャルハラスメントやマタニティーハラスメントのニュースがなくならないのです。

子どものあるなしはカップル二人の責任ですし、新生児の異常は二人ともに要因があるのです。妻だけが責められる問題ではありません。最近では、子どもの通院に男親だけが来ている姿をよく見かけます。できれば病状は両親ともが共有し、ともに育児に携わることが望ましいことはいうまでもありません。

話を父と私との関係に戻します。私は父とそりが合わず、子どものころから衝突を繰り返していました。家から外に出れば、うまくいかないことの一つや二つは誰にでもあります。

父の場合、その不満を抑えることができず、母と私に当たることがしばしばありました。死ぬほどの虐待を受けてはいませんが、自分の親に対して穿った見方をするには、それは十分なものでした。私は今でも、平和で良好な家庭環境が存在することが、不思議に思えてなりません。そこには親御さんの弛まぬ努力と愛情があるのでしょう。私はどんな状況にあっても、暴力と恫喝は、人を教育しないと強く主張します。

義務教育中の春夏冬休みは、母方の実家または親戚の家に預けられ、高校生時分は部活動に明け暮れて、ほとんど父と顔を合わせないように、口も利くことなく過ごした青春でした。今思い返してみると、私たち一家は家族になり損ねたのです。

幼いころ、父から「出ていけ」といわれるのがたまらなく嫌でした。幸い家がとても広く、自室にこもれば、父もそこまでは追いかけてきませんでした。

「一日でも早く自立したい」

「優しい人と結婚して、子どもを産み、自分だけの家庭がほしい」

父に暴言と暴力を受けるたび、毎回考えたのはこれだけでした。父の暴力は狡猾でした。叩けば自分の手が痛いので、必ず私の服で見えないお腹の部分を痕がつくほどつねるのです。それをされても、私は泣きもせずに父を睨み返してしまう気の強い娘でした。