現在の日本社会における組織の非人間化・形骸化

現在の日本の社会では、人の集まりができると、すぐに会則や規則をつくらなければという声が上がります。常識が衰退している現実があることに問題を感じるのです。

そして、役所や学校、会社でも会議やミーティングが行われ、多くの時間が費やされています。会議では、その組織を防衛するという意見が多くの場合重んぜられ、個人が責任をとらないで済むような結論になりがちです。役所や学校では、その問題の当事者になっている市民や保護者ははぐらかされた思いを味わうことが多く起こっているように思います。

私自身、過去に、PTA役員として学校社会に接したときや小学校や中学校の先生とのつきあいを通して感じるのは、校長先生や経験のある先生は若い先生を教育したり指導することができないということや、雑談をする雰囲気もないように思われることです。

以前、当園の合同あそびのDVDを小学校の教員を長年経験している人と一緒に見たことがあったのですが、その人が無感動の表情で見ている様子にびっくりさせられたことがあります。

また、当園のうんどう会を何人かの校長先生と並んだ席で見たことがあるのですが、ほとんどの校長先生が教育的な視点で見ることができていない現実があります。たとえば、うんどう会に、保護者競技や地域社会の催しなど、いろいろな要素を盛り込んでしまって、教育的に程度の低い状態になってしまっていることに何の問題も感じておられない、ということです。

保護者のかたも学校行事を無事に終えることに協力したり、保護者競技に参加することに気をとられていて、子どもたちの活動を教育的に評価できない状態になってしまっています。うんどう会実行委員会のような組織は、前年のうんどう会を引き継ぐことにばかりエネルギーを使っているように思えます。

公務員の管理職レベルの人ばかりでなく、一般の職員も感動する心を失くしている人がますます多くなっています。たしかに、市役所や学校現場の事務量が以前に比べて増え、保護者からの質問や苦情が多く寄せられ、余裕を失くしているという現実もあります。

府からの権限委譲による事務量が増え、地方分権などのかけ声のもとに市の判断をかたちにしなければならない状況もあります。しかし、主体的に判断する力を持った職員が少なく、相変わらず府や国におうかがいをたてている現実があるように思います。二重行政の解消や地方分権などは単なる政治上のキャッチフレーズに過ぎないことを多くの市民は感じているのです。

以上のような役所や学校の現状を見ると、現代の親たちがモンスターペアレンツにならざるを得ないのも無理ありません。これまでの常識では考えられないようなことを言い出す保護者がいることが新聞などで報じられますが、それに対して信念を持って対応できない現場があるという現実もあるのです。