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出産選択の二極化をめぐる疑問

近年増加している無痛分娩は、出産が医療の管理下に行われるものであることを前提に、医療の力で陣痛の痛みを緩和させることで満足のいく出産をしたい選択であるのに対し、プライベート出産は、医療の介入がない環境で出産することにより、満足のいく出産をしようとする出産方法の選択です。

これらは、現代の出産選択の二極化を表していると思います。

では、なぜプライベート出産は医療者の制止に反し行われるのでしょうか。そしてなぜ医療者は強く制止しようとするのでしょうか。

私は、プライベート出産が医療者に制止される理由、そして医療者の制止に反し行われる理由は、出産を医学モデルで捉えるか、社会モデルで捉えるかが関係しており、さらに出産選択には、個人の生き方や生命観、すなわち哲学的思想が関係するからだと思います。

私は助産師ですから、生命の危機の場面を幾度となく経験しています。医療によって助けられた生命を見てきた私は、出産を医療と切り離して考えることはできません。医療者がプライベート出産の選択を問題視するのは当然です。

しかし、その一方で、出産は、例えば陣痛促進剤の被害や無痛分娩の事故などが起こっており、医療が介入することで生命の危険を引き起こすリスクがあることも事実です。そして何より、大きな事故には至ってなくとも、受けた医療の介入で女性が心身ともに傷つくことをも実感してきました。

逆に、心と体の準備を整え主体的に出産に臨み、備わった力を発揮した自然出産で至高体験し、エンパワーした女性もたくさん見てきました。ですから、自分の力で産みたいと願う女性の希望、出産選択を否定することはできません。

プライベート出産が問題視されるのは、医療者が出産を医学モデルのみで捉えるからではないかと思います。しかし、妊娠出産は、いのちをつなぐ営みで、本来自然の営みです。そして出産のあり方は、歴史の中で社会の変化、地域の文化とともに、遷り変わってきました。

近年、「終活」という言葉があるように、終末期においては延命治療の是非が問われ、本人や家族の意思が尊重されるようになりました。また在宅の看取りも見直されています。自宅で家族に囲まれ、最期を迎える選択です。

出産は自然の営みであり、家族の誕生です。その本質を考えるとき、どれだけ医療が進歩しようとも、自然死を選択する人がいるように、自分の力で産む自然出産を望み、医療の管理下にない自宅などで、家族に囲まれ出産することを希望する女性は一定数存在し続けるものと思っています。出産を社会モデルで捉え、文化的な視点で考えると当然のことです。コロナ禍で、病院での出産環境は変化し、そして人々の生活スタイルもテレワークが進むなど変化している今、どこでどういう出産をするのが望ましいか、社会モデルの観点から考えてみる機会が与えられたと考えています。

私は、いのちの尊厳、出産の選択権(人権)を考えるとき、医療者がプライベート出産の選択を真っ向から否定することに疑問を持ち、まず何より当事者理解に努め、なぜプライベート出産を選択するのか知る必要があると考えました。そして、全国のプライベート出産体験者30名にインタビューを行いました。