高校時代の読書

はっきり言って暗い高校生活でした。県立の男子校で、クラブにも属さず、何かに打ち込むこともなく、ゲームセンターに通い、漫画を読んで、アニメ映画を観て、適当に友だちとダベるだけの毎日でした。成績はどんどん下降するなかで、惰性で時を過ごし、気付くと受験シーズンを迎えていました(流行の音楽はよく聴いていたかもしれません)。

そんな怠惰な高校生が、医学部を目指すという暴挙に出たのです。シュヴァイツァーや野口英世の伝記を読んだからではありません(読んでいません)。親族が身近で亡くなったわけでもありません(亡くなっていません)。“国境なき医師団”のNGO活動に憧れたという理由でもありません(当時は、存在すら知りませんでした)。成績、お金、名誉という動機でもいっさいありません。

あえて言うなら父親が獣医師だったので、動物よりも人間の医療に魅力を感じたという何の根拠もない、たったそれだけの理由でした。他に特別な才能があるとは到底思えず、消去法で医学部を選んだのかもしれません。

高校時代、私には、読書好きの友人が一人いました。その友人は、まあ言ってみればナルシストで、私の仲間内では、そいつだけ唯一彼女がいました。ヘルマン・ヘッセを読んでいたのです―――それに影響された私の取った行動については、後ほどお伝えします。

本を読んでいれば彼女ができるかもしれないという幻想を植え付けてくれた、その友人には感謝しています。

受験勉強をはじめた私は、とにかく机に向かうというところから自分を鍛え直す必要がありました。この頃になると(すなわち高校三年生)、集中力と忍耐力との不足をはっきり自覚していました。このままでは医学部どころか、どこの大学にも合格しないであろうと予想された焦りのなかで、城山三郎の『素直な戦士たち』という本を、先の友人が貸してくれました。

受験を抱えた一家を描いた物語で、教育熱心な母親に育てられた長男がノイローゼになっていくような話でした。借りた手前もありましたが、意外にも、これを私は、受験シーズン真っただなかに読み、当時の日本の過熱する受験競争に対してとても不快な気分になる一方で、自分事として読むことができました。

友人がどういうつもりで貸してくれたのか、いまとなってははっきり覚えていませんが、「お互い受験がんばろう」という意味だったのかもしれません(その友人は、学習院大学を卒業し、大手銀行に勤めています)。だからと言って、これを契機に読書好きになったというわけではけっしてありませんでした。

「本というものは、自分事として捉えられれば、ある程度読めるのだ」という気持ちが、少し芽生えただけでした。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『非読書家のための読書論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。