婦人は、ふふんと少し鼻を上げてから、きっぱりと言った。

「下五は、『放電す』ね」

「放電するとまで言いますかね。雷に打たれたわけではないのに」

「『放電す』になさい」

ぐずぐず言う私にじれたように、婦人はやや神経質な口調でこう言い放つと、

「失礼するわ」

の一言で、天井を通り抜けて去った。この婦人が誰か本で調べたら、なんと杉田久女だった。俳句の神様が杉田久女の姿で現れたのだ。山ほととぎすを詠んだ俳人本人に対して、その句を話題にしたのは、知らぬこととはいえ、たいへんうかつなことだった。神様が女性の姿で現れたのには、意表を突かれた。講義では、印象的な力強い語を下五に持ってくることの大切さを学んだ。

正直、

「『放電す』になさい」

とややエキセントリックに言われた時は、少し怖かった。だが同時にそこに、句作りへの一途な情念のようなものを感じた。

俳句未経験者の三人の参考のために、神様に教わって作った私の句の後に、俳句の神様が姿かたちを借りた俳人の句で私が好きな一句を、僭越(せんえつ)ながらつける。以下同様。

朧夜より戻りし雄猫放電す

(こだま)して山ほととぎすほしいまま   杉田久女