第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

遷都か少なくとも分都を

明治維新で薩長土肥を中心とする官軍は都を京から江戸に移した。首都東京の始まりである。せっかく江戸幕府を倒したのに何故また江戸へと思われるが、旧弊のもう一つの守旧派である公家勢力から離れるためであった。

翻って今、1強の政治の立法府、忖度する官僚の行政府、日和見的判決の多い司法府、これらは皆官邸に近い場所にあり、一極集中の中毒症状の様相を呈している。ここには金権欲の強い財界もすり寄ってくる。

このような閉塞状況を打破するには改革より革命、維新しかないのかもしれないが戦後の民主教育で真面目に育った私としてはここは穏やかに、また実行者に後世まで志士や功臣として名を残す遷都、分都が好ましく思われる。

まず司法から着手するのが良い。三権分立が戦後民主主義の基本と言うが、最近の司法府は立法府や行政府の下請け的役割に甘んじているように思えてならない。

憲法違反、違憲の時には広島弁で「いけん、イケン、違憲」とはっきり言うべきところを「違憲状態」などと霞が関文学的表現では、一票の格差に本腰では力を入れなくて当たり前である。

官邸や国会、行政官庁にも近すぎる。子弟や孫などの小中学校、塾や予備校が同じ地区にあり祭りや運動会も一緒、プールやスーパー銭湯などでの裸の付き合いも多い筈であり情が移りやすい。

メディアにも近すぎて不易流行のためには立地が良くない。また退官間際には勲章もちらつき始める。私は最高裁は霊場高野山、道場永平寺の近くがベストと思っている。

マスコミも来ないしデモもない。修行僧の如く六法全書を経文の如く読み込めば、国民ファーストの判決が増えること請け合いである。

身延山や佐渡でも良い。地域の活性化にも役立ち、今の所よりは日本国のために役立つ。東京から地方へ出るのは都落ち、と考える一部の裁判官や事務局員を除けば…。

話が逸れて立地分権から裁判自体の話になるが、ここでどうしても述べておきたいことがある。それは殺人などの被害者や遺族の立場の弱さである。

私は戦争遺児という生い立ちもあり、高校時代から亡くなった方やその周辺の方々の気持ちが軽視されているのではと感じていた。

マスコミも事件から暫くは犯罪の残酷性などから被害者や遺族に寄り添う態度であるが、時が経つにつれて徐々に犯人に近くなっていく。

法廷に実在していない人の存在感が薄れるのである。最近になって写真や肖像画は許可されたようだが、私は亡くなった方の等身大の像や何か存在感のある造形物も認めるべきと考えている。

犯人には情状酌量があるにもかかわらず被害者や遺族の情状が斟酌されていないように思えてならない。殺人、強盗、放火、強姦、略取誘拐・人身売買、強制わいせつの6大重要犯罪には原則として情状は認めないようにすべきである。

死刑に関しては生命を救うという私の職業柄なかなか結論が出ない。ただ、人生100年時代と60年時代の刑の長さはそろそろ変えてもよいのではと思っている。反社会的勢力の鉄砲玉役の人達が出獄後に良い人生が送れる期間が長くなるのは少し怖い気がするからである。

本題に戻る。

次に急ぐのは中央省庁の地方移転である。ここは「櫂より始めよ」で46道府県に少なくとも1つの省庁、局、分室などの政府機関を置くことから始めてほしい。

記憶にも記録にも名宰相、最長期在任のレガシー間違いなしで夫人もワーストレディー(失礼)などと呼ばれなくなる筈である。

特に先の大戦で本土のために米軍と熾烈な戦いをしていただいた沖縄県、そして江戸末期から明治にかけ屯田兵が先住民のアイヌ民族をほぼ全滅させてしまった北海道には他の地域より手厚い施策が必要であり、TPP除外特区などで農業や漁業なども守る必要がある。

沖縄の酒税やガソリン税の軽減なども観光推進のために更なる優遇が望まれる。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和の改新 日本列島再輝論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。