心理状態は時計の振り子のように振れ始めた。晴子に会社を辞めたいと打ち明けた。彼女には会社での出来事を話すようにしていたので事情をある程度理解していた。

状況を察していたらしく、さばさばとして聞いてくれた。彼女も工場の敷地内にある社宅での生活で夫人たちの井戸端会議など近所付き合いに負担を感じていたようだ。

子供二人連れてこの先どうするか、仕事が見つかるだろうか、辞めるならばその前に就職先を決めなければならない。全力で取り組んできた十二年間の研究開発に終止符を打ち、また最初から出直しとは。

空しい思いがよぎったが、辞職を決意した。

転職

当時は一旦就職すれば定年まで勤めあげるのが常識で自分から退職する人は珍しかった。

会社に業務出張と偽り東京の職業紹介所(今のリクルート)に赴いて申し込み用紙に履歴書を添え登録した。数日後、早くも反応があって、決められた日時に再び出張を装い面接に出向いた。

二人の人物、鮫川氏と中山氏が待っていた。しばらく質疑応答したあと二人は別室で話していたが、ぜひ採用したい、早く返答してもらいたいといわれた。

その会社は浜松郊外に本社がある地元製品の卸売業で販売網は全国に展開している個人企業で社長が製造部門の設立を計画、そのための技術者兼プロジェクトマネージャーの人材を探しているとのことだった。

会社の規模は現在の東証一部上場の会社に比較すると桁違いだが、その社長の意欲と積極的な雰囲気を感じた。

政裕は返事を保留し家に帰り妻に報告した。

浜松の気候が温かく海に近いし新しい魚が手に入るだろうからぜひ行きたいといった。九州から来た彼女には埼玉は海から遠く新鮮な魚が買えなかったことなど、もっと生活現実的だった。

政裕が仕事のことで悩んでいたのを知って心配していた。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『波濤を越えて』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。