11月2日(月)

手術

いよいよ手術の日となった。

久しぶりの雨である。2週間は降らなかったと思う。

さほど強くはないが風もあって、木の枝が揺れている。

晩秋の、冷たい雨だ。

12時に来ればよい、と病院からは言われている。その少し前に行こうと思う。

施術の所要時間は3~4時間との説明を受けた。麻酔からの恢復を考えると、順調にいって5~6時間、かかるのであろう。

11時30分に良子の病室に入った。

点滴がなされていて、良子は横になっていた。昨日、食事は昼食まで、21時以降は飲物も禁止になっていた。

最初の入院が9月12日なので、50日になる。

異変が現れて救急病院へ行ったのが9月4日であるから、丁度二月目である。

随分日時を要した。色々な要因があった。何よりも “シルバーウィーク” と呼ばれる連休があった。しかし、術後の合併症に「腸閉塞」があると知った。

ステントによって腸を拡げても、短期間であればすぐ元に戻る、というインターネット上の情報もあった。であるなら、この期間は、腸の形状を整えるために有効であったかもしれない。

まったくの素人考えで、先生には聞いていない。早くやれば良かったのか、これは比較のしようがない。

入院直ちに手術に進んでいれば、がん研のセカンド・オピニオンを受けられなかっただろうし、B医師ががん研出身であることを知ることもなかった。

B医師が、がん研で裏判押してくれた方であることは、安心であった。患者には、医者の “腕” を、知りようがないのである。

救いは、良子が首尾一貫、明るかったことである。

今日も手を振って、笑顔で手術室へ入って行った。

13時15分に手術室に入り、18時40分に手術が終わった、先生の説明がある、とナースが呼び出しに来た。

私とあい子は手術室入り口の受付へ向かった。

B先生が出て来て、切り取った部位を示した。その大きさに驚いた。

先生の目つきが、先日の事前説明のときとはまるで違っていた。

死闘をしてきた獣の目であった。私はこの医師を信じた。

特別なことはなかったとのことであった。順調に終えた、と言われた。

「リンパ節、他臓器への転移」についての私の質問に対して、

「病理検査の結果が出るまで、確かなことは分からない」

とのことであった。しかし少なくとも視覚上は、変異は認められなかったのだろうと、私は理解した。

医者と政治家は逆であると気付いた。

政治家は良いことばかりを公約し、医者は最悪の可能性を告げる。

19時15分に良子は病室に戻った。

しばらく私たちは外に出された。酸素マスクが装着されており、モニターが設定された。

「順調だったと先生は言っていたよ。がんばったね」

良子はかすかに笑った。しんどそうではあったが、顔色も良かった。

私たちは、「今日はもう帰るね」と告げて、短時間で病室から引き上げた。

今日、ソウルで、3年半ぶりに日韓首脳会談が開催された。

日韓の友好に異議はない。しかし日本人の韓国に対する感情は、元に戻ることはないであろう。あまりにも執拗に痛めつけられた。

※本記事は、2019年3月刊行の書籍『良子という女』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。