マニラ人間模様

安藤の長い話が終わった頃には、テーブルの上の料理も大分片付いていた。何だか、この夕食会は安藤の独演会だったような気がした。

夕食後、女性スタッフ二人と恐妻家の志田は帰宅したが、残りの七人で二次会と称しマビニ通りのカラオケラウンジへ行った。

現在のようなレーザーディスクが出回る前で、エイトトラックテープで流すメロディーに合わせ、歌詞カードの束をリングバインドした本を見ながら歌うという旧式スタイルのカラオケだ。

レストランでしこたま飲まされた正嗣は気持ちよく酔っていたが、赴任して間もないのであまり出しゃばって歌う気にはなれなかった。

一応諸先輩たちを立てねばという気配りから、しばらくは聞き役に徹した。店のホステスが作った水割りで早々に乾杯を済ますと、まずは社長の入木田がマイクを握った。よく通る低い声で『ダヒルサヨ』をタガログ語で歌い出した。

歌詞は暗記しているらしく、実に上手い。これは相当歌い込んでいるなと感心した。大分前にテレビでダークダックスが歌っているのを見たことがありいい曲だなと思ったが、聞くのはそれ以来だ。この歌がフィリピンの歌であることは知らなかったが、哀愁を帯びたスローなメロディーラインは耳に残った。入木田社長の十八番(おはこ)だそうだ。

次は安藤副社長が『北酒場』を歌う。度々音程を外すのもご愛嬌だった。安藤は外見上、頭が体とのバランスで大きいようで、正嗣には歌っているその姿は正に福助人形が歌を歌っているように見えてしまい笑いを(こら)えるのに苦労した。

その後も、正嗣と八若を除く五人が歳と会社での地位の順に代わる代わる歌った。こんなところでも年功序列に従い行動するとは、日本人とは可笑しな人種だと思った。

八若も何か歌うよう促されたが、何度も固辞していた。五人が三曲ずつ歌い終わった頃、正嗣に歌え攻撃がかかった。場の雰囲気を壊すのもまずいので、無難な曲をインデックスから探そうとした。

「僕も歌いますから、八若さんも歌ってくださいよ」

と八若にも頼む。正嗣は『夢の途中』を歌詞カードに沿って歌った。その後、八若はマイクを取りソファーから立ち上がった。みんな座って歌っているのに、この人は立って歌うのだろうか。静かなイントロメロディーが流れてくる。

八若が選んだ曲は『海ゆかば』だった。歌詞を(そら)んじているようだ。それにしても、店の雰囲気に凡そ似つかわしくない曲だった。直立不動の姿勢で歌っているその様は、その場にいる人たちに聞かせているのではなく、まるで死んでいった戦友への鎮魂のために歌っているという感じで、ある種の寒気を感じながら一同は聞き入った。

そんな歌を聞かされたものだから、続いて歌う者はおらず、二次会はお開きとなった。翌日は正嗣にとってマニラで初の土曜休みだった。