たぶん、うちの娘たちは父親の真の愛情を知らないと思います。本当の愛情とは、ものすごく心地良い、とてつもない安心感があるものです。モノを買い与えたり、送り迎えをする、そういうことではなく、本当に心の底から子どもを愛するということが夫にはわからなかったんだと思います。だから、それなりの関わり方しかできなかった。それを夫は愛情だと思っていただけだから、彼も別に悪いわけじゃない。ただの勘違い。思い込み。それはそれで、もういいんです。もう終わったことだから。

でも、娘たちには少し気の毒です。

ただ、愛情なんて親からもらわなくても後にほかの誰かから別のカタチでもらえれば、それでいいんじゃないかと思います。別にそれが実の父でなくてもいい。愛なんて、誰からもらってもいい。自分を愛してくれる存在が、この世にいるという事実が何よりありがたいことなのだから。私たちは誰でも、愛されるべき人間なんです。

だから私は、娘たちがかわいそうだなんて思っていません。愛はどこにでもある! 私も、力の限り愛してきました。それだけで十分。

「この子の親だから、一緒にいるべき」

「親だから、子どもを愛するのが当たり前」

そうじゃない親子だってあると、私は思っています。一緒にいることで害になる関係だってある。私はそう思ったから、必要以上に娘たちと夫を関わらせなかった。お互いに害にならない程度に離しておいた。

子どもの立場で考えると、そうは言っても唯一の父親だから、嫌いにはれないと思う。だから、そのためにも私は夫と娘たちを離して育てました。お父さん、おかしいよねっていうのは、なるべく子どもたちには感じてほしくなかった。親を嫌いになるなんて、やっぱり子どもには辛いことだと思うから。夫の間違った価値観に触れるのは私だけで十分。本気で付き合ったら子どもだっておかしくなる。夫と子どもたちのためにも、その関係を壊さないためにも、接点はなくしたほうがいいと思っていました。

おかげで、娘たちはいまでも夫のことは嫌ってはいません。変わったお父さんだなと思っているようですが、嫌いではない。子ども目線で本気で遊べる大きな子どものような人ですから。もしいま会ったとしても、普通に笑って話せる間柄だと思います。

人に憎しみや怒りを持ったまま会えなくなるなんて、悲しいことですから。そう考えれば、私のやってきたことは間違ってはいなかったと思うのです。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『カサンドラ症候群からの脱却』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。