個人が思いを主張する社会

日本および日本のものづくりの再興において、最も大切なことは幕末・明治および戦後の偉人に見られたように、個人が自分の樽作りをする点にある。

日本という樽作りに没頭する個人が少なくなってしまった今、再度個人の活躍に焦点を当てるシステムを日本に作りたい。

根本的には、画一的な価値観・既存知識の塊で構成されたカリキュラム・協調と普通を強いる今の教育から、自己の「思い」を語り、ほしいもの、好きなものを見分け、自分で方向を決める自己責任型、個の確立型人間を育てる方向に転換することが急務である(注6)。

堀場製作所創業者の故堀場雅夫氏は

「21世紀の最大の変化は集団の時代から個の時代への移り変わりである。個、すなわち人間一人一人がそれぞれ独自の特質を活かし、独創的な発想と自分の価値観に忠実に生きる社会こそが日本の活力の根源となる」

と訴えている。そのためにはまず、大学入試方法の改革が必要となる。初等・中等教育および大学教育・社会人研修の「受け身学習」から「個人の思いを自ら主張できる」人間教育への抜本的転換である。

要するに、幕末・明治の時代に多く輩出した個人をもった人材を目指す人材教育に切り替えることである。

「みんな一緒」から「クオリティーの高い個人の考え」を引き出し、大切にする風土づくりである。小・中・高の時から個としての自分の意見を醸成し、それを表現し、相手にそれを説得する表現力を教育する方法に、大きく転換しなければならない。

例えばある中学入試問題で、

「図は、99年後に誕生する予定のネコ型ロボット、『ドラえもん』です。この『ドラえもん』がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか。理由を答えなさい。」

とある。解答は一つではなく、各個人の数だけある。今後の教育が楽しみである。

大学入試でも、SAT(米国大学入学時に考慮する大学能力評価試験で英語・歴史・社会学・数学・自然科学・語学などの20科目の中から、最高3つまでを受験)のような試験とし、最終的にはおのおのの大学の多様性に応じた個別試験・面談を行い、「自分をいかに語れるか、自分は何に興味があり、それをどう活かすのか」を最重要視する試験法が望ましい。

面接官には現役のOB・OG、識者の活用が考えられる。

MITでは、良い学生を選べなかった面接官は、次回から交代させられる。

これからは、一部の国立大学の卒業生や一部の官僚・大企業人のような、全ての科目で高得点を取るようなバランス型人材、これと言った「思い」や突出した特徴の無い人材は、必要でなくなる。

学生が教師に「その説明ではよくわかりません」と繰り返し説明を求め、教師も何回でも根気良く答える、教室では真剣勝負であってほしい。

吉田松陰は『留魂録』の一文で「諸君、狂いたまえ」と言い残している。

とにかく思い切ってやってみる、間違ったらまた変えればいい、少なくとも江戸時代のように切腹までは強要されないのだから。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『日本のものづくりはもう勝てないのか!?』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。