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父と2人で暮らしたこと

バタンと後ろ手でドアを閉めて、私は台所に急ぎます。息を切らして自宅へ向かう坂を登る途中から、嫌な予感が止まりません。家に入ると、やはり父はいませんでした。私の予感は的中し、ガスコンロの火が小さく燃えていました。父の認知症を疑い出したのは、こんなことからです。

その前後にも、お風呂の給湯器のスイッチが入りっぱなしとか、トイレや廊下の電気が長い時間つきっぱなしとか、細かい事象はあったのですが、高齢者の物忘れだと、いちいち注意はしませんでした。でもガスコンロのつけっぱなしは、放っておいたら大きな事故にもつながりかねません。

じつは私が在宅している時間にも、何度か見かけて注意しました。本人に問いただしても、自分ではないといい張ります。思いあまって、介護経験のある親戚に相談したら、すぐにIHコンロに替えるようにいわれました。IHコンロの使い方を調べたり、対応の鍋を買ったり、それも大ごとです。こんな生活も長くは続かないであろうという予感がありました。

そのうち、父は買い物や通院、当時老人ホームに入居していた母の面会などから戻ってくるのが、かなり遅くなるようになりました。父はときどき、どこかに出かけてズボンを破いたり、足を擦りむいたりしていたようで、私が帰宅すると、それをかたくなに隠すようになりました。

外見からは見受けられませんが、少しずつ、少しずつ「父はおかしいのではないか」という小さな疑問の芽は、やがて私の頭のなかで確信の樹に成長していました。

私の父はプライドが高い人だったので、なかなか弱音は吐きません。近所の人の前でも普段通りに振る舞うので、認知症といっても他人は誰も気がつきません。

よくメディアなどで、近所の人と情報を共有して高齢者を見守るといっています。それはできる人とできない人がいると私は思います。

高齢者はとても見栄っ張りで、他人に弱みを見せることを極端に嫌います。父も同様で、私が他人に少しでも家庭内のことをいうことは御法度でした。でも結局、近所の人にもお世話になるのです。

ある日、朝まだ暗いうちから、家のなかに父の姿が見あたりません。以前にはこんなことはなかったので、私はかなり焦りました。2、3時間が経ち、朝市の帰りの方が見かけたと、電話をかけてくださいました。父が見つかった場所は、家からずいぶん遠かったので、よくこんなところまで歩いてきたと感心するとともに、私も父を迎えにいって連れて帰ってくるだけの体力が不安で、タクシーを頼んで連れ帰りました。

朝から2人とも飲まず食わずでしたから、その日は話す元気もありませんでした。私は意を決して、次の日に父と話そうとしました。

父は昔の人のなかでも相当な頑固親父で、自分が迷って外出して、帰ってこられなくなったことを認めません。少し追い詰めると、「今から線路に行って電車に飛び込んで死んでくる」というのです。

じつはこのフレーズは、夫婦げんかをしたときに父が昔から口にした言葉です。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『花びらは風にのって』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。