継続

バイクを停めてヘルメットを脱ぐと、颯爽と吹く風が頬にあたり気持ちよかった。人ひとりいない、がらんとした代官山の街を歩く。幻か現実か、例年であれば、季節を先取りしたファッションに身を包んだ街行く若い男女、スマホを片手に散策する海外の観光客、この辺に住む夫婦が犬を連れて外のテラスでランチをしたり、ヨガウエアで闊歩する女性がいたりとにぎやかな光景だが、今は過去になった。

自販機の一番左上にある温かいお茶のペットボトルを買い、その場で手に取り一口飲む。バイクで走ってきた後のこの緑茶の渋みと温かさ、喉から腹まで巡りめぐってじんわりと身体があたたまる。五十メートルほど歩いて通り沿いのビルの階段を上がった。

一階のデッサン教室にも、二階のフレンチレストランにも、扉前に「休業」を知らせる紙が貼ってあった。階段で誰かとすれ違うことは、先月から徐々に少なくなっていたが、先日の総理大臣の会見があってからビシャリと人の出入りがなくなった。らせん階段を上がって三階の扉の前でリュックの横ポケットをがさがさと探した。奥深いところに ある、ギザギザの細い鍵の先端が指にあたった。以前はよく鍵を忘れて家に帰るはめになったので、傘立ての下にスペアキーを隠していたが今日はその出番はなかった。

「おはよう」

入ってすぐのカウンター上に吊り下がるコウモリランに話しかけた。四方八方にのびきって元気に葉をこちらに向けているが、まあいつものことだが返事はしない。カウンターの中に入りはいり、アンティーク屋で見つけたお気に入りの外国製の紙バインダーを開いた。

四月十日金曜日には、予約が入っていた名前が消された後があった。電話はかかってくるだろうか。明日以降のスケジュールも、名前の上に二重線が引かれているほかは空白であった。緊急事態宣言が発令されてから、事業者への休業要請と国民への外出自粛のニュースで世の中が一瞬にして凍りついてしまった。二〇二〇年は俺が美容室「オーシャン」を立ち上げてから十年目だ。そして今日はちょうど開店した日だった。

「十周年記念はお祝いだね。どこか素敵なレストラン予約しておくからね」

ずっと支えてくれている彼女も楽しみにしていたが、お祝いどころではなくなってしまった。