第一章 社会は変わる、変わるから新しい時代となる

欧米人の時、時代の捉え方

欧米人の時の捉え方、考え方の基本は、ユダヤ教の旧約聖書の教えを継承して時を有限なものと捉え、時は直線上に流れて、方向を変えないとする考えになっていると言われています。

旧約聖書に書かれている時に関する大まかな説明は、天地を創造したのは唯一絶対者の神であるが、やがてこの世は終末を迎えるとし、時間は方向性を持ち、逆もどりはない考えだとされています。

イギリスに住む建築士の友人によると、彼等の時間に対する特有の概念は、具体的に旧約聖書の「出エジプト記」に記されていると言います。

そこで「出エジプト記」の参考文献を読んでみましたのでその内容を紹介してみますと、紀元前一三〇〇~一二〇一年頃の旧い話で、神との契約でユダヤ人が預言者モーセと共にエジプトから自国のイスラエルに帰国するまでの話しになっています。

「出エジプト記」に出てくるユダヤ人は、エジプトでは他国民として扱われ辛酸な目にあっていましたが、彼らは故国に向かう途中でもいろいろな困難なことが多くあったものの、神との契約で翻すことをせず、一途にイスラエルに向かう姿勢に貫かれています。

友人はここにユダヤ人が時間を有限と捉えて行動する諸端を見ることができると、話します。

四季がはっきりし、太陽の光や雨にも恵まれた自然環境下に生きる日本人。砂漠下の厳しい自然環境で生きるユダヤ人。日本とイスラエルやアラブの自然環境があまりにも違うことを考えれば、私たち日本人にも彼等の厳しい時の有限論がわからなくもありません。

だが、友人はユダヤ人が時間を有限なものとする考えは厳しい自然環境だけでなく、大筋は神との契約から派生したものだとし、さらに、欧米人の時への概念は、キリスト教の「予定説」が絡んでいると、主張します。

友人は、欧米人が時間を有限なものとする考えは、気候風土だけでないことを、ドイツの例を挙げて説明しています。ドイツには鬱蒼とした森林のイメージがありますが、他のヨーロッパの中西部の国の自然は日本と同じように緑豊かなイメージがあり、砂漠民族の自然環境と違うと、主張します。

それゆえ、ユダヤ人の考える時間の有限論は、気候から同じ概念になったものでなく、ユダヤ人と神との契約からなったものであると主張しますが、さらに、欧米人の時への概念には、キリスト教の予定説が加わっていると主張します。

(キリスト教の予定説は欧米人の生き方、考え方の骨格となっていますので、第二章「予定説が新資本主義を生み出した」で詳しく説明しています。ご参照して下さい。)

予定説の骨子は、現世と神のいる天国の二つに分け、人間は死後、神のいる天国に行くことが出来るか否かは、神が予め決めていて、人は神の決定に従うほかないとする考えになっています。

神が人を天国に迎え入れるか否かを一方的に決めているとなると、現世を生きている人々の心は焦燥感にかられるものです。

そこで、キリスト教は人々の気持ちを和らげるため、神に選ばれる人(救済される人)は神に選ばれるように、自らが行動すると諭しています。

神に救われ天国に迎えられる人は、修行や寄付をした人でなく、この世で神に迎えられるよう正しい行動をとるとする予定説は、キリスト教の根本理念となっています。

社会科学者・マックス・ウェバーは人々が目指す正しい行動とは、「神の存在を認識して目的を整合し、禁欲を伴う生き方だ」とし、この人々の目的合理性が資本主義成立を生んだ要因となったと説明しています。

神の下、この世を仮説、有限なものと見なす欧米人。

これに予定説が加わると、人の生き方が目的合理主義となり、無駄のない生き方となる説は、それなりに理解できます。

私は予定説で生きる目的合理主義が、新しい資本主義精神に繫がっているとするマックス・ウェーバーの見方に正当性を感じますが、この目的合理主義の精神は、欧米人を「技術革新」に向かわせる原動力になっていると、見立てています。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『特性を活かして生きる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。