私は、この言葉を聞いて、びっくり仰天しました。とっさのことで返す言葉も見つからず、おそらく、しばらくは茫然と口を開けて上司を見つめていたのだと思います。なんと、その上司は自分が研究所の仕事を手伝ってやってくれと依頼したことを完全に忘れてしまっていたのです。

ようやく、事情を察した私は上司に対して

「あなたが指示したから、研究所の仕事をやったんですよ」

と何度も言いましたが、上司は自分の言ったことを完全に忘れていて、まったく耳を貸しませんでした。それどころか、私が言いわけをしていると思って、ますます怒り出す始末です。

このような指示をいちいち記録には残しませんので、上司がそのような発言をしたという証拠は残っていません。また、当時の会社のルールでは、面接での業績査定結果の通知は、最高裁の判決と一緒で、査定結果はもう決定された既成事実であり、くつがえすことができないものでした。

さらには、上司の面接や業務査定結果に対して異議を唱えるといったシステムもありませんでした。すなわち、私には泣き寝入りするしか手段がなかったのです。結局、私の先期の業績は最低点となり、ボーナスが大きく減額となりました。

実はボーナスよりも影響が大きかったのは、一度最低点がつけられると、それを挽回するには数年を要するという会社の査定システムでした。このため、私は将来の昇進にとって、極めて大きなハンデを背負うことになってしまったのです。

上司が困っているだろうと思い、上司を助けるために依頼を気持ち良く引き受けたのに、私を待ち受けていたのはこのような実に理不尽な評価でした。私は上司に裏切られた気持ちで激しく落胆し、何とも言えない苛立ちを感じました。

面接のあった夜は、悔しくて一睡もできなかったのを覚えています。言うまでもなく、上司に激しい怒りを感じるとともに、この怒りを訴えて出るところもないという会社のシステムに、まさに、はらわたが煮えくり返る思いをしたのです。