病魔には勝てない。心臓手術決断

心臓が、厳しい状態だ。

夜遅くまで学習していた時、心臓に負担がかかり狭心症の体には荷が重い。病院への定期検診で毎回、ドクターは言う。

「心臓に悪いことはしない。野球での『二死満塁』のような緊張するような場面のテレビは見ない。こんな場面を見ていたら死にますよ。くすりに頼らず手術の予定を考えて下さい」

毎回、同様なことを聞いていると、その言葉に鈍感になり、自身の体の危うさを他人事のように捉えていた。今は、階段を昇りきるまでに胸の痛さを感じる。このままでは開業すら無理な状態だ。手術を決断する時期が来た。ドクターにその旨を伝えた。

当初は、三月十一日が手術日と決まっていた。しかし都合で当日は夫婦一緒に詳細な説明を受ける日に変わった。

グラグラ……地震だ。

周りの落ち着きが戻るまでの間にスタッフ、看護師が待合室を急ぎ行きかう。私達に、スタッフの一人が大きな落ち着いた声で、全員が聞くことができるように、顔を右左に向けながら、

「大丈夫です。落ち着いてください。自席にそのまま座って立たないでください。余震があっても当病院は、耐震設計で丈夫にできていますから全く大丈夫です。ねずみは逃げるかもしれませんがね……。大丈夫ですよ」

私は、笑ってしまった。

「今、動くとねずみに間違われるわね」

妻も、にこにこと可笑しさをこらえて言う。私は、このスタッフの賢い一言に感銘を受けた。多くが動揺しているときの、些細な一言が一瞬の緊張を和らげることを、身をもって体験した。

病院の指導が偉いのか、このスタッフが偉いのか。どちらにしても病院の評価を高めたことだけは確かである。待合室にいる多くの人が和やかになった。

落ち着いてから、妻は、私の耳元に手をやって、小さな声で、

「今日、手術でなくて良かったね」

と、言った。

約二時間待っただろうか、診療室に入るように案内があった。ドクターから説明があり、

「揺れびっくりしたでしょう。東北は大変なようですよ」

東北での大地震を、この時知った。相当な被害が起きたようだった。ドクターは私の体を気づかって、

「でも、今日まで、良くもちましたね。今、ここで倒れてもおかしくない状態です。心臓には三本の冠動脈があり、その源の冠動脈が詰まっています。三個所のバイパス手術が必要です」

と心臓の絵を描き、詳細に手術の手順について分かり易い説明を受けた。

私は、手術に全く不安はなかった。執刀するドクターは、定期的に診断を受けていたドクターであり、有名なドクターで、手術歴も多く信用していた。

説明を受け、その後テレビを見て東北の惨状を目にして驚いた。関東でも交通機関がマヒして大変なことになっていた。私の手術どころではない。

後日、無事に心臓バイパス手術は終わり、集中治療室を経てリハビリに入り病室でゆっくりしていた。

突然隣のベッドの患者から血が噴き出した。私はびっくりしてナースボタンを押した。腕の動脈から血が噴出したのだ。動脈から一、二メートルも噴き出すのを近くに見て驚いた。

ナースが来て、止血した。カテーテル挿入口の止血帯が外れたことをナースから聞いた。動脈の血圧の強さを思い知らされた。隣人は、何もなかったように「ケロッ」としている。大した人物である。

私は療養期間を過ぎ退院した。担当ナースに、術後最短療養期間の証明書をお願いして書いてもらい、感謝の気持ちも添えてお礼を伝えた。今思えば、感じの良いナースの下でゆっくり養生できて、良かったと思うしだいである。

手術を終えて一か月もすると、嘘のように痛みもなく、快適である。会社勤めしているときは、無意識に無理はしないように振る舞っていたが、今は、以前より顔にも生気が蘇って顔色も良い。話す声もハリがあり、力強い。