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中学校での登校拒否により、失敗したのが高校受験だ。

私は中学2年生までは学校へ通っていたが、徐々に成績が落ち、そのショックもあってか、前述のように登校拒否してしまう。皆と学力で大きく差を付けられてしまったのはこの時だった。

だが、家にいてはそれもわからない。

何とか受験をパスするだろうと高を括っていた私は、公立校に落ち、出席日数が少ないために私学にはまったく相手にされず、結果として、オラオラ系の人たちも通う公立校に決まり、ここでも浮いてしまい、いじめを受けることとなってしまう。

遂には、その公立校も辞めて、父が調べた通信制高校に入るのだが、やっと手にした安住の地は、家からまったく出ず、バスに乗らないとどこへも行けない田舎であったため、町に買い物にも行けず、非常に不健康で将来性の乏しい生活に落ち着いていた。

この某通信制高校のシステムは、ネットで配信されている授業、またはCDによるテキストで授業を受け、何度もやり直せるPCの選択式のレポートに取り組めばそれが評価され、成績になっていた。

私は何度もレポートに取り組み、すべて100点になるまでやり直し続けていた。

私の父親は建設業で「安全・労務」の仕事をしていた。母と同じく、私たち兄弟を二人とも大学卒業させたいと思っていた。

しかし、厳しい父親ではなかった。通信制高校を見つけてきたのも、私のことを考えてのことであり、どちらかと言えば甘いほうだったと思う。

私が小さい頃は、母に内緒でお菓子やおもちゃを買ってくれ、母と口論になっても、いつも私たちを庇ってくれた。

父はいつも朝が早く、遅く帰る生活をしており、さらに母がいなくなったことで家事をしたり、夕食を買うためにもっと帰りが遅くなったりと、当時は気づかなかったが相当迷惑をかけていたように思う。

私は父親に大変な苦労を掛けたが、それでも辛い顔を一度も見せないのは、私が尊敬し、目標とする父親像でもある。

しかし、私はこんな生活をしているのだから、恋なんてできるはずもなく、ただただネットゲームをしながら日々を送っていた。

それでも、真面目に高校のレポートを出した結果、「指定校推薦」により、広島の大学に行けることとなった。