マニラ人間模様

二ヵ月ほど前、寮の並びのマンションに住む某商社の駐在員が銃で撃たれ死亡するという事件が起きている。

その駐在員は三四歳の独身であったが、事もあろうに雇っている若いメイドを手込めにしてしまった。かわいい子だったので、つい魔が差したのだろうか。そして、そのメイドの給料の三倍ほどの二千ペソをあげ、後は問題なかろうと高を(くく)っていた。

しかし、メイドには正式に結婚はしていないものの、夫のような男がおり事の真相が分かってしまう。逆上した男は一人で駐在員宅に押し入り、駐在員の心臓めがけ銃で五発打ち込んだ。その後、メイドとともに姿をくらました。

このニュースは全ての在マニラ男性日本人駐在員を震撼させた。その当時、フィリピンでは簡単に銃を手に入れることができたし、またヒットマンを安く雇うこともできた。男女間の愛憎問題だけではなく、何らかの恨みを買ってそのしっぺ返しが来る。これは誰にでも起こり得る問題であった。

某商社駐在員射殺事件後、会社側は警察に犯人捜査・逮捕を依頼した。しかし、メイドと男の出身が漠然とミンダナオ島のダバオらしいということ、メイドの名前がルイースということくらいの情報しかなく、捜査の仕様がなかった。

ミンダナオを捜査してくれと頼んでも、それなら捜査員派遣の費用を出してくれと数万ペソのお金をせびられる始末であったとか。こんな殺され方をすれば、全く殺され損だ。

坂元はアナベルの父親の拳銃をちらつかせての訪問を受け、明日は我が身との恐怖が増長してきた。殺されるかも、という不安がどんどん大きくなる。ここにいたくない。この国にいたくない。日本へ帰りたい……、と気持ちはどんどん先走る。

坂元はか細い声を発した。

「明日朝一で副社長に相談してみます」

「そやな。事が起きてからでは遅いしなぁ」

とキヨミも賛同した。この時社長の入木田はタイ工場の建設候補地であるバンコク近郊のナワナコン工業団地の視察に行っており、マニラを留守にしていた。

「副社長には全部正直に話します」

「とりあえず今晩はドアを二重ロックしてチェーン掛けて、バリケードでも築いときや。荷物もまとめておいた方がええかも」

と言ってキヨミは帰っていった。

翌日普段より早めに出社した坂元は、安藤と曽与島が来るのを待った。二人が出社するや、会社では話せない相談があるのでとボルトンホテルのコーヒーショップへ誘った。

坂元は二人を前に昨夜の出来事の一部始終を話した。キヨミがこれからアナベルを病院へ連れていくことも。ただ、日本へ逃げ帰りたいという気持ちが強くなっている坂元は、彼女の父親に結婚を迫られ拳銃を突きつけられたと誇張した。

話を聞いた二人は坂元を呆れ顔で見たが、そんな報告をされれば社員の身の安全を第一に考えざるを得なかった。

しかしながら、それもあったが、もし数ヵ月前の某商社のような事件になれば、当然マスコミの注目の的となり会社のイメージは下がるという心配もある。

よって、結論はその場で出た。坂元を日本へ緊急避難させることにした。