来栖が二宮守が勧めてくれた政経塾に入った時はちょうど三〇代半ばの年齢になっていた。

日々の生活では気力も十分に漲り、人とのつき合いでは職場であろうと私生活の範囲であろうと一応は時宜に応じて相応に対応し、人間関係でも取り立てての軋轢もなく順応して生きていると周囲の人間には思われていたようだ。

自身の精神活動ということになると、本人は日常の生活に取り紛れてしまい、充溢しているかどうかなど、あまり真面目には考えていなかった。あるいは十分に考えることができる時間もなかったというのが客観的事実だったのかもしれない。

それに加え、彼自身、精神力の働きというような個人的資質は客観的に測れないものであるとみなしていた。

仕事への適応能力ということでは、内心手前味噌の感があるとはいうものの、区役所でのデスクワークだけは無難に処理できているということを上司の評価からも確認していた。

その経験値から、知的能力も人並みには備わっていると、多少の自信は持てるようになっていた。

人間関係でも三〇代半ばの来栖には異性への関心はまだまだ多分に残っていた。とはいうものの、異なるタイプの女性に積極的に近づき親密な関係を結びたいというような欲望は、もうそれほど強くはなかった。

好みの女性を日常生活の出会いの中で具体的に選び取り、自分からつき合えるように積極的に行動する意欲ももう強くは湧いてこない。

この頃、自ら選び取るというよりも、自分のほうがむしろ選ばれていたのではないかというような関係で、既につき合っていた女性がいた。

高梨という元同僚の妻で、既に子供もおり、年齢も彼とほとんど同じだった。彼女と面識ができたのは来栖が役所に入って政経塾でも活動を始める前だから相当古く、まだ二〇代半ばで、大学を出て広告代理店に勤めていた時期だった。

同じ職場で先輩格にあたる高梨が一家で転居する際に、同僚のよしみということで引っ越しを手伝ったことが機縁だった。もっともその時は引っ越しの手伝いが主な仕事であるから、高梨の配偶者とは単に顔を合わせたというにすぎない。

来栖が勤めていた広告代理店では職場の人間が引っ越しなどする場合、通常は手伝い合うことなどなく、引っ越しをする当人が業者に一切合財を全部任せてしまうのが普通だった。