最初の敵はA子。彼女は誰にでもいい顔をするが、それを貫けない不器用さがあり、私のいないところで私の悪口を言ってしまったのだ。私は彼女の弱さにつけこみ、彼女の精神をコントロールし、毎日私にタバコを買ってくる係に任命した。

似たような境遇のB男はお菓子係。私は何を勘違いしていたのか、「間違ったこと」は自分が正してあげないといけない、と思い込んでいた。そして何か私に害を与えた者には仕返しをする。もちろんその人が想像する以上の仕返しを。

私にとって平和な日々が続いていたが、それまで仲の良かったC男がお金を返さないという事件が起こった(たった数百円だったが頭にきたので大げさに仕立て上げた)。今度返してね、と優しくチャンスをあげたにもかかわらず、それを無視したことに私は激怒する。彼には靴がなくなる刑と車が牛乳まみれになる刑を与えた。

そしてD男。これは私を欺いたという重罪を犯したため、社会的に抹殺し、退学して頂いた。私を怒らせると、こういうことになるよ、と周りに知らしめた。

そうやって私は学校のヒエラルキーの最上位を勝ち取った。この頃になると先生たちも手が出せなくなっていた。

「おまえ本当に母ちゃん癌なんか? うそやろ」と言ってきたのは理科の教師。転入する時、「母が癌で、私立高校の学費が払えなくなったから、ここに来ました」と面接で話したのだ。

自主退学はうそであるが、母の癌は事実であり、教師としてその言い方はどうなのか、という気持ちと、私をうそつき呼ばわりしたことにイラついた私は「先生ひどい! 本当に私つらい思いをしているのに!」と泣きの演技で、目の前で土下座させた。つらい気持ちなんてなかった。ただ先生を懲らしめてあげないといけない、と思ったのだ。

私の心は腐っていた。あの出来損ないの教師が言うように、私は本当に腐ったみかんだった。高校3年生になり、敵はいなくなった。ぽんちゃんとは相変わらず仲良しで、当時彼女は彼氏と社宅に住んでいたが、居場所がない私も一緒に住まわせてくれた。

昼頃起きて、ワイドショーを見て、それから登校した。楽しい生活だった。同じ社宅に住む、この時出逢ったりゅう君(仮)は7歳年上の腕に龍のタトゥーが入った人で、見た目はヤンキーの中のヤンキーだった。でもとても優しく、定時制高校には毎日送り迎えしてくれた。休日にはぽんちゃんとその彼と4人でよく旅行に行った。私は少しずつ心の安定を手にした。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『腐ったみかんが医者になった日』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。