ため息が出る。

再び手を離してトイレに立つ。

戻ってきて、手を握ろうとして、小腹がすいたらどうしよう、と気がかりになる。

退屈したら。

そこでスナックとお茶と文庫本を持って、再び横になり、手を握る。

片手が自由にならないので、はなはだ不便だが仕方がない。

その時を待つことしか出来ないのだ。

そして数え切れないほど寝返りを打ち、何度もトイレに立ち、文庫本を積み上げ、食料を補充し、お気に入りのワンピースがくしゃくしゃになり、化粧が剥げ落ち、三日経過した。

徒労だった。

そして、もうコレに関わるのはやめる、という決定を下した。

これはキノコかなにかなのだ。

注意点としては、コレにつまずかずに部屋を歩くことだけだ。

そう決めてしまえば、なんの問題もない。

六日経っても腐り始めた様子もないので、それから一週間ほどは放っておいた。

しかし、ある晩、寝床についた時、ふいに枕元の手の感触がよみがえった。

あの感触は悪くなかった。

どこの誰ともわからないが、なにか親しみを感じた。

手を伸ばし、久しぶりに握ってみる。

ともかくも、彼は私に会いに来たのだ。

暗く果てしのないかなたから。

その労苦をまだ、私はねぎらっていない。

「私も会いたかったわ、あなた」

いたずらのような気持ち半分、手にそうささやいた。

その瞬間、ぐいとひきずり込まれた。

真っ暗な中をひたすら落ちていった。

途中、手が振り向いてニッと笑った気がするが、さだかではない。

気が付くと私は腕になり、どこかの洗面所の鏡から生えていた。

夜らしい。

くたびれ果てた感じの見知らぬ男が歯を磨いている。

鏡から生えている私を見ても驚く様子はない。

ただぼんやり見ている。

そして、そっと触れたりする。

早く一言、言えばいいのに。

そうしたら、私はあなたを鏡の中にひきずり込めるのに。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『苦楽園詩集「福笑い」』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。