「君は、これまで何かに打ち込んだことがないのじゃないか、何にでも真剣さが足りないんだよ」

中澤が立村に、容赦なく生傷に塩をすり込むようなことを言った。もちろん冗談だが。

「松岡、さっき俳句を始めた当初は、ぜんぜん人に評価される句が作れなかったと言ったよな。いったいどんな句を作っていたのか、教えろよ」

立村が案外素早く立ち直って、思わぬことを言い出した。

「いやいや、それは勘弁してくれ。いろいろ悪戦苦闘して、駄句ばかりしかできなかった頃のことを思うと、胸が痛むから」

「松岡は俳句のリアルを語ると言ったぞ。俺たちは、松岡の真実の経験を知りたい。神様にひねり過ぎ、機知を狙い過ぎと言われた句ってどんなのだ」

中澤までが、人の苦渋を斟酌(しんしゃく)せずに言いつのった。

「こんな句を作ったというだけでは、僕たち素人にはなぜその句が駄目な句かわからん。どういう意図で作って、その結果がどうだったのかも説明しろよ」

市島がこう注文をつけた。

大学時代二年間、コンピューターを使った需要予測をゼミで共に学び、難しいところは助け合った仲間、そして雀荘や下宿で麻雀卓を囲み幾夜も徹夜した。そんな最も親しい友人たちが、私の弱みをほじくるような、こんなに薄情な人間だったとは。

私はためらっていたが、三人ににらまれて、仕方なく、持参した俳句手帳を開いた。これまでに作った全ての句に時系列順に番号を振り、取られた句には〇印、駄目だった句には×印をつけている。親友のたっての頼み、いや強要に屈して、恥ずかしいけれど、若い番号のついた×印の未熟な句について話すことにした。

その俳句を作った経緯、狙いなどは『作句の意図』とし、句会で先生や参加者からいただいたコメントや現在の私の自己批判などは『結果』である。

※本記事は、2021年5月刊行の書籍『春風や俳句神様降りてきて』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。