読書に影響されたのではたまったものではない……

さて、ここでもう少し冷静に考えてみると、私にとっての読書への過敏反応は、もっと違うところにあることに気付きました。著者の想い、あるいは小説に登場する主人公の活躍に感情移入することがときにあったとしても、だからといって、その人物の生き方を模倣するとか、考えを真似(まね)て実行するとか、そういうところまで大きな影響を受けるには至りません。

いやもしかすると、影響を受けないよう構えていると言った方がいいかもしれません。なぜなら、本には終わりがあるからです。

漫画『SLAM DUNK』(井上雄彦・作)は、人気絶頂のうちに突然終わりました。しばらく放心状態でした。いまを生き抜いている私には、幸いまだ終わりが見えません。「物語だけいい形で終わっておいて、残された私はどうするの」ということになってしまいます。そんなのたまったものではありません。―そうかと言って、『ガラスの仮面』(美内すずえ・作)のように、終わったかどうかがわからないのも困るのですが……。

『銀河鉄道999』(松本零士・作)に登場する星野鉄郎に憧れて、大人になったら謎の美女と一緒に星の海を旅したいと願っていましたが、どうやら叶えられそうにありません。それを悟った瞬間はショックでした。

わかりやすいと思って漫画で(たと)えましたが、小説やドキュメントでも同じです。まあ、大袈裟かもしれませんが、でもそういうことが続いて以来、本を味わったとしても深入りすることをためらうようになりました。それは、私にとって不運だったかもしれません。

物語に書かれたとおり、その著者や主人公はうまく人生を切り抜けてきたでしょう。しかし、現実を見据えるならば、自分がその人になれるわけではありません。憧れだけで終わってしまうくらいなら、はじめから一定程度の距離をおいた方がいいという考えになります。

本は読むけれど、本からの影響を極力受けないよう、私は心に(よろい)をまとうようになってしまったのです。だとしたら、本はあくまでエンターテインメントと割り切るべきでしょう。

確かに、作品が良ければ良いほど、真実に近ければ近いほど、著者と主人公とに対する汗や闘志や息吹や真摯な姿を感じます。ですが、現実との落差を感じてしまうこともあります。そうなるくらいなら適度に距離をおくことも、実は読書を続けるうえでは大切なような気がします。