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うつ病と自傷行為

不眠と仕事の疲れで心身ともに悲鳴を上げ、仕事を病休することが多くなった。そして、自傷行為に至る。最初は小さなものだったけれど、だんだん大きく自分を傷つけるようになっていく。酒を煽り、泣き苦しむ。

冤罪のこともそうだが、それ以上に孤独だった。親友のKちゃんはアメリカ。高校時代に仲のよかったMもHも電話番号すら知らなかった。仮に連絡が取れたとしても変則勤務の日常だからなかなか友だちとは会えない。遠距離恋愛のTさんという彼女もいたのだが別れたばかりだった。あのとき、本当に孤独だったなあと思う。

さて、僕の自傷行為だが、左腕の傷をサポーターで隠していた。脚にも自傷の痕はあってズボンを穿いていたから傍目にはわからない。

限界が来ていたある日、東京医科歯科大学病院の外来でM教授が僕の左腕のサポーターに気づく。

「どうしたの?」

僕はフルフル震えながら、

「自傷行為が止まりません! 本当に苦しいんです」

と胸のうちを吐いた。

「理由は後で聞くから、すぐに入院だ。車でも車検があるだろう? 君は少し入院検査する必要がある」

とM教授が言ってくれた。SLEの状態は悪くなっていないが、M教授は僕を保護したかったのだろう。

入院が決まってその足で実家に向かった。サポーターを取り、母親に事実を話し、入院することになったと伝えた。母親は泣いていた。

職場には、Y支援部長に伝えた。本来なら直属の上司であるH課長に言うべきではあるが、あの男には話したくなかった。Y部長は「身体を大切にな。後のことは任せなさい」と言ってくれた。一方、H課長は入院することになったとわかっていても何も言わなかった。逆に「お前のおかげで勤務調整が大変だ」と愚痴をこぼしていたっけ。

持病以外で入院

僕は6月16日に入院した。この期間は、本当にゆっくりゆったりと過ごした。おかげでとてもホッとできた。ただ、僕の自傷行為にショックを受けて母が入院してしまったと、病院に電話があり、看護師さんが教えてくれた。

すぐに外出許可をもらい、母の入院している横浜市旭区にある私立病院へ向かった。母に会ったが憔悴していた。僕は「大丈夫だよ」と伝えて、すぐに自分の病院に戻った。入院患者が入院患者に面会に行く変な日だった。

精神科で問診を受けると、

「精神疾患とは違うね、うつ病だから心療内科の範囲内かな」

と診断されたので心療内科にかかり、内服治療を開始した。その後、よく眠れるようになったけれど、一度だけパニックになったことがある。お見舞いに女性職員が多数面会に来たのだが、Iさんもいたのだ。僕はすぐにその場から立ち去ろうとするとIさんが後ろから、

「ごめんなさい!」

なんて言う。僕は返事もせずに病室に戻った。

その日の夜はまったく眠れず、フラッシュバックのようにあの出来事が頭のなかに現れる。床頭台の引き出しにある果物ナイフで腕を切りそうになるも、なんとか落ち着きを取り戻し、ナースコールを押して果物ナイフを看護師さんに保管しておいてと渡した。

そんなこともあったが、基本的にはのんびりと心身を休養し、9月中旬頃退院した。年内は自宅療養として、年明けまで自宅アパートで過ごした。

僕の左腕には、未だに薄っすらと自傷の痕がある。