私は、受験当日の若者の話などをして、お互いに成り行きの面白さについて語り合った。お互いに牡蠣の食べ方のリズムが落ち着いたところで、

「部屋食の状況は変わりましたか」

少し酔い気味の先輩に聞くと、

「何にも変わらないよ。でも、お前に礼を言わねばならない。もう図書館通いも疲れていた時期に、お前から環境を変えるために仕事をすることを勧められた。聞いたときは全くその気はなかったが、新聞を見ていたら『幼稚園の送り迎え』の案内があり、連絡した。すぐに来てくれと言う。歩いての『送り迎え』で、朝と夕で一日二時間程度。歩いての『送り迎え』は身体に良いし、毎日大歓迎。子供達は俺に慣れて、色んなことを教えてくれる。楽しいぞ」

「奥さんは喜ぶでしょう」

「家内は知らないよ。俺は言ってないから。この前、勇気を出して朝の挨拶を言ったら、『必要なことがあれば、玄関にある連絡板に書いてね。頼みますよ』だって。こちらも、あら、そうって感じかな」

先輩のテーブル前には、もう三本もビール瓶が横たわっている。

「可笑しな家庭だよな。笑っちゃうよ」

他人事のように野菜を網に乗せながらニコニコしながら言う。

「勘違いするなよ、家内との関係を良くしようとアルバイトをしている訳じゃあないからな。別に、家庭内を良くしようとやった訳じゃあない。身体の為、精神衛生上良くないからな。家内は、家内。好きなことをして欲しい」

先輩自身の家庭環境を笑いにして、話してくれる先輩には、自身の信念を誰にも曲げさせない強さを感じ、信念をもって力強く確実に一歩一歩前に進む強さに感動した。これが、「男の強さ」かも知れない。

現役時代の先輩は、上司にも、自己の考えを臆せずに伝え、打ち合わせ等で結論が別の方向を向いている場面においても、最後には彼の思うように異なる意見の者等、周りを納得させてしまう。些細な揉め事も両者を納得させ解決してしまう。女性にも、男性にも信頼される天性のリーダーである。

こんな先輩が、家庭での、部屋食状態を納得しているのだろうか。人間のやることは分からないものだ。本人は、天真爛漫。

「夫婦も所詮は他人の結合、人権を重視する者は、個人主義を謳歌し、夫婦に縛られることはない。妻から見れば、今まで夫に尽くしてきたのだから、これからは妻の人生。夫婦、考えが違うのは当然、自由に生きる。当たり前のことさ」

天才は、私のような凡人とは違い、世の評価等は気にしない。家庭第一で和やかな家庭になるように、そのためには「雰囲気づくりが大切」と心に決めていた私の様な「妻に従順」な男には分からない。

※本記事は、2021年3月刊行の書籍『明日に向かって』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。