壱─嘉靖十年、漁覇翁(イ ーバーウェン)のもとに投じ、初めて曹洛瑩(ツァオルオイン)にまみえるの事

一番鶏が鳴いた。遠くから、爆竹の音がきこえる。衚衕(まち)はまだ暗いが、人々はもう動きはじめている。

家の主人は、女房にいちばん上等な服を出してもらい、知り合いの僧や書家をたずねてゆく。門扉に貼る春聯(しゅんれん)を書いてもらうためだ。

女房はといえば、うどん粉をこねて餃子の生地をつくったり、湯をわかしたりして、亭主がもどるのを待つのである。

あたらしい年が、明けた。私たちは、太廟(たいびょう)の外門に立っていた。一枚きりしかない上着を着込み、城壁にからだをすり寄せるようにして、寒風をしのいでいると、觴(さかずき)を手にした宦官があゆみ寄って来た。吐く息が白い。

「寒いのう」
「……出番は?」
「まだまだだな。さっき、ようすをうかがいに行ったら、皇后さまが到着なさったばかりだったぞ。拝賀の儀は、これからだ」

美しい蠟細工のような横顔が脳裡を横切ったが、手足のほうは、感覚がなくなりそうである。

「ほら、飲め。屠蘇(とそ)だ」

正月を祝う縁起酒には、細切りの木瓜(ぼけ)が浮かんでいる。一気に飲み干すと、身体がぶるっとふるえた。私たちは、年初の祈禱がはじまるのを、ひたすら待っていた。

年が明けてまず行われることは、礼拝と年賀である。皇上は皇后をともなって太廟(たいびょう)に詣で、天地の神と、皇祖皇統の霊に、祈禱を捧げる。この霊なくしてわが明朝を語ることはできず、青詞をのべる道士や、上殿をゆるされた高位高官もまた、首(こうべ)を垂れない者はない。

それが終わると、皇上は皇極殿(こうぎょくでん)にのぼって、ずらりと居ならぶ文武百官から、年賀のあいさつを受ける。

「もうちょっとの辛抱だぞ。あとかたづけが終わったら、おれたちも休みになる。上役の許可をもらえば、城外にも出られる」

先輩宦官は両手に息を吹きかけ、こすりあわせた。

「給金をもらったら、おれは阜城門(ふじょうもん)外の白雲観(はくうんかん)に遊びに行くんだ。おまえはどうする? 故郷(く に)にかえるのか?」
「いえ……自分は、ここにいます」
「そうか」

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『花を、慕う』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。