【関連記事】「病院に行って!」背中の激痛と大量の汗…驚愕の診断結果は

田中敬一さん、和子さんご夫婦の日々

ストーリーの主人公である田中さんご一家を紹介したいと思います。

田中敬一さんは現在75歳、愛知県で過ごしています。大阪府出身で大学卒業後、運送会社に定年まで勤務しました。赴任地は愛知県で、結局そこに自宅を購入して、妻そして娘二人と暮らすことになりました。

愛知県内の事業所で定年までの37年間勤務し、定年後もしばらくは同じ事業所で嘱託職員として労務管理の仕事を担当していました。

趣味のゴルフやドライブをもう少し楽しもうと、68歳で仕事から離れることにし、ほどなく年金生活に入りました。退職後も何か社会的な役割があった方がいいと考えて、地域のボランティアサークルに参加することにしました。

駅前の清掃活動や、遊歩道の草引きなどを週に2、3回行い、サークル仲間とは2か月に1回あたりの頻度で食事会をするような関係を築きました。もともと社交的な性格であることも手伝って、2年もするとサークルの会報作りを担当するようになり、毎月4、5日は事務局に出かけています。現在では、会報作りのリーダーとして4人の仲間の取りまとめをしています。

幼少の頃から体は元気で、会社勤めの間も特に大病を患うことはありませんでした。ただ、健康診断で高尿酸血症を指摘されてからは、痛風予防の目的で近くの医院に定期的に受診して、薬を服用するようになり、それを現在も続けています。

通院先の医師の指示に従い、定期的に血液検査は行ってきましたが、完全に退職したあとは人間ドックのような全身チェックを受けることはありません。

タバコは10年前にやめており、アルコールも週に2、3回飲みますが、それぞれ1、2合ほどを飲むくらいです。今のところ健康に不安は持っておらず、住民検診のレントゲンや胃のバリウム検査も受けずに放置してきました。最近も受診督促の便りを気にも留めずに、ごみ箱へ捨てたばかりです。

ストーリーの主役の一人、田中敬一さんの紹介でした。かなりめぐまれた老後を送っている、まじめな男性ですね。

田中和子さんは71歳で愛知県出身、県内の大学を卒業して、中学校の国語の教師となりました。教師の仕事は55歳まで勤めましたが、定年を前に退職しました。

27歳のときに敬一さんと結婚し、娘二人に恵まれました。娘が小さい頃は保育園に預け、時々自分の母親に世話になることもありました。退職後は特に社会的な活動をすることはなく、趣味の短歌を時々吟じたり、それらの作品をラジオに投稿したりして楽しんでいます。

長女の春菜さんが近くに住んでおり、彼女も教師として日々出勤していることもあって、お孫さんの食事の世話を和子さんがすることもしばしばです。とはいえ、日常の家事は夫婦二人暮らしですからそんなに大変ではなく、日々を穏やかにすごしています。

彼女も小さい頃から体は元気で、教員になってからも特に健康上の問題はありませんでした。退職後に何度か腹痛があったため病院に行ったところ、胆石症が見つかり、66歳のときに腹腔鏡手術を受けて完治させました。現在は特に通院する病気もなく、かかりつけの医者もいない状態です。

アルコールをほとんど飲まない彼女は、家族で食事に行っても、元の同僚らと親睦会をしても、お酒を口にすることはまずありません。タバコも吸いませんし、あまり間食もしません。嗜好品といえば、たまに近所の知り合いのケーキ屋さんでクリームブリュレを買ってきて食べるくらいです。あまり健康に不安がないので、健康診断も受けたり受けなかったりで、時々居住している自治体から受診の督促があります。

今回のもう一人の主役、田中和子さんの紹介でした。和子さんも恵まれた生活を送っている方ですね。とてもまじめな女性です。田中夫婦は二人で外食することがとても多いのですが、(時々フレンチに行ったりしますが)ほとんどは和食であり、非常に健康的な食生活を送っています。二人でのウオーキングも日課になっており、二人ともメタボリック症候群とは無縁です。