ところが翌日も

「今日はちゃんと事務所に行ったんだけれど、だあれも出てくださらない。いらっしゃる時……出直すしかないですね」

薄暗がりに向かって叫ぶと、しーんとしてから奥の男が出てきて

「今日は事務所留守なんだ。何?」

奥から大声出せばいいのに。

「昨日は本当(ほんと)にありがとう。大成功、しそうなんだけれど、測り方が雑だったので、ぴったり()まらなかったんです。コンマ五ミリで削れますか?」

ひょろひょろした若者は黙ってトートバッグを持っていって、昨日と同じ機械で同じように静かに丁寧に作業する。待つ間手持無沙汰で、道路まで下がって工房を眺める。事務所はシェルターの屋根と同じ高さで、多分そこがペントハウスになっている。屋上庭園もあるかもしれない。その辺りが紺碧の空と違って紫のぼかしがかかって見える。藤の季節だから。結構快適な住まいかもしれない、高速の騒音はどうかな、と暇潰ししていると、杜鵑(ほととぎす)がキャ、キョキョキョキョ、チュと嗤って屋根を越えていった。

若者は板をバッグに縦に並べて入れてよこす。

「何に使うの?」

昨日、事務所の男も訊いた。ここの人たちは互いに話をしないんだ。

「お気に入りの本箱を五つ買ったの。О製作所のよ。本を載せたら棚板が全部落ちちゃった。がっかり。半年も放り出していた。しょうがないから、突っ支い棒と、両脇も壁に突っ支うしかないなと思ったの」

のっぽの若者は伏目で見下ろしていて、言い訳みたいになるのが不本意なような、けれどもずいぶん嬉しそうな眼と出会うとちょっと笑った。

「重量制限はあるさ」

昨日と同じ手間賃を出すのに

「ここでは貰えないんだ。いいよ、これくらい」

「わたしの気持ちが済まないから。ありがとうの気持ちはこの二十倍」

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『フィレンツェの指輪』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。