4章 大阪大学附属病院入院時代

二人の偉大なる医師
 

いきなりだが、私は徳のある人間だ。阪大病院の入院で、二人の素晴らしいお医者さんに出逢った。部長先生の河敬世先生と主治医の井上雅美先生だ。

そして、三〇年近く経った今でも診ていただいている。その長期にわたるお付き合いが、いかに私と先生方との間に大切な信頼関係が築けているのかを物語っている。

私が病と闘ってきたように、河敬世先生も井上雅美先生も私の病気と将来に真っ向から立ち向かい、一度も諦めずためらいもなく試せる治療はすべて挑戦してきて下さった。

挑戦した治療の中には残念ながら効果が出ないこともあったが、先生方の、“絶対に治してやる” という執念が子供ながらに感じ取れた。

私自身も、「河先生と井上先生で駄目やったら、日本中のどのお医者さんが治療してくれても駄目やわ」という気持ちで信頼していた。本当にそのとおりだ。

先生方は私の病気「若年性多関節リウマチ」だけではなく、私の強さや弱さ、頑固さやわがままもよくご存知だ。

今日まで私が生きてこられたのは、いつも一緒に闘病生活を乗り越えてきて下さった河先生と井上先生のおかげだ。言葉などでは二人への感謝の気持ちは表せない。

病気のことだけではなく、進学、留学や就職などの過渡期には今も河先生に相談に乗ってもらっている。

後に私はアメリカ留学するのだが、五つの大学院に合格した時、どこの大学院に進学することが私の病気にとってベストなのかを相談した。河先生は、私のリウマチの病状を考慮すると、湿気が無く一年をとおして気候が比較的に安定していて有名な総合病院のあるカリフォルニア州ロスアンゼルスに居残ることを勧めて下さった。

私も家族も河先生の説明に納得し、私はロスアンゼルスにある南カリフォルニア大学大学院に進んだ。少し横道に逸れるが、河先生と井上先生とは私が幼い頃からのお付き合いだ。そのため、先生方は私をなだめる方法、説得の仕方や励まし方をよくご存知だ。

良い意味で私はうまぁ~く誘導されてきたこともあったかもしれないと今ふと思った。

話は戻るが、他の大学院に行っていたらどうなっていただろうと思うことがある。だが、最後にはやっぱり自分が卒業した大学院で良かったと再認識するのだ。

私の人生に先生方がいなかったらどうなっていただろう、というアイデアは一度も思い浮かんだことがない。なぜなら私と先生方はいつも一緒に奮闘してきたのだ。これからもそれに変わりはない。

私と河先生と井上先生とは三〇年近くも一緒に私の厄介な病と闘ってきた同志なのだ。いや、同志以上だろう。河先生と井上先生のことを、人として医療の専門家として、心から信頼し尊敬している。

昔も今も先生方から刺激を受け学ばせていただいている。先生方がいて下さったから、私は今生きている。
 

※本記事は、2018年9月刊行の書籍『車イスの私がアメリカで医療ソーシャルワーカーになった理由』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。