芭蕉の旅姿で、江戸時代の五十歳といえば老人だが、そんな男が写真と言ったのは、少し意外だった。
「ズームにせず普通に撮っても、画面の九十パーセントが富士山で、澄み切った冬の青空はせいぜい十パーセントぐらいになるかと思います」
思わずズームとかパーセントなどという外来語を使ったが、通じたようだった。姿かたちは江戸時代だが、中身は現代に生きているらしい。
「『視界九割富士の嶺』というところだな。季語はどうする」
「富士山が冬空に神々しいばかりでしたから、冬麗やでしょうか」
「『冬麗や視界九割富士の嶺』。いいのじゃないのかな」
「あの、俳句で『視界九割』って変ではありませんか。これでも俳句なんですか」
「変ではあるまい。そう見えたのだから、そのまま詠めばよい。大きな景をずばり切り取っていると思うがのう。それに私に向かって、『俳句なんですか』とは少し心外だ」
私が頭をひねっていると、老人は白い手甲を付けた右手で私を指差して言った。
「君のこれまでの句は、頭の中で作っている。知識と経験を総動員して、懸命に機知の句をひねろうとし過ぎる。俳句は見たままを素直に表現すればよい。俳句は『ひねる』ものではない。君は、独自色を出そうと力み過ぎるし、俳句はかくあるものと思い込んでいるのではないか。エゴが俳句に出ている。煩わしい理屈なんか考えずに、対象をよく観察して、ふさわしい言葉を見つけなさい。俳句を『ひねること』と『ものにすること』との、この違いをよく考えてみたまえ」
私には直観的にわかった、この方は俳句の神様だと。どこからか現れて、俳句の作り方を教え、私の俳句の欠陥をはっきり指摘してくださった。そして神様の力なくしてはとうてい生まれなかった、次の一句を私に残して、姿を消された。私は神様に会えた奇跡に胸がどきどきし、それが治まった後、思いがけない幸運をしみじみと噛みしめた。