この四ステップには、「現役時代の自分は、本来の自分ではない」というメッセージが込められています。再評価段階は、自分がこれまでの人生のほとんどの期間において、課せられた役割を演じていたに過ぎないと自覚するステップです。

本来の自分は、演技をする必要性がなくなって「やりたいことができる」ようになった解放段階を経て、まとめの段階に至ったときに初めて発見が可能になると言っています。少し前に、「自分史」が流行っていましたが、現役を退いてすぐ書かれた自分史の中に、本来の自分はないということになるでしょう。

再評価段階は、発想の切り替えを促してもいます。時間も可能性も無限にあると思ってしまうような年齢は過ぎているのだから、時間はもちろん自分の能力や運にも限界があると理解し、その前提で何をすべきかを考えろと言っています。なぜなら、「いつ死ぬか分からない」からです。

再評価段階のポイントは、「演じていた自分」と「死への意識」にあります。これがあるから、解放段階で「やりたいという意欲が湧いてくる」のですが、逆に言えば、やりたい意欲が湧いてこないのは、「演じていた自分」も「死への意識」もないからということになります。夫・妻、父親・母親という家庭での自分、会社や仕事において上司や部下や顧客の視線を受けている自分、それらは全て演じるべき「役」だったのですが、ずっと演じているとだんだんとそれが「本来の自分」だと思い込んでしまう。

もともとその「役」は、“時間的にあるいは精神的に縛られていた事柄”だったにもかかわらず、やっているうちに、それこそが自分だと勘違いしてしまう。だから、退職や子の独立というきっかけがあっても解放された感覚がなく、やりたい意欲が湧いてこないのだと思います。もちろん「役」に没頭し、それを全うされたことは素晴らしく、称賛されるべきではありますが、高齢期にはそれは「役」だったと気づかねばなりません。

親の「本来の自分」は、その子にとっても極めて重要です。親を亡くしたとき、その子が「親のことを、あまり知らなかった」と後悔することがとても多いからです。そのとき子が「知りたかった」と思うのは、親が頑張って演じていた「役」では決してありません。

子が知りたいのは、まとめの段階で「やりたいことをやっている」親であり、アンコール段階で「個性的な人格として肯定的に認められる」親であるに違いありません。幸福な人生の最終盤を送る親を見ることができ、親が亡くなったあとも、本来の親の姿を思い出して自分の子どもたちに語って聞かせられる。こういう子は、本当に幸せだと思います。

この四ステップは、理想的な「終活」のガイドラインになります。介護、医療、相続、遺言、墓、葬儀、モノの処分などをどうするか具体的に決めようという、今のよくある「終活」もいいのですが、この四つのステップを参考にすれば、人生の終盤の生き方、終い方についてもっと高い視点から考えられるようになるはずです。

※本記事は、2021年8月刊行の書籍『年寄りは集まって住め』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。