安藤は話題を変え更に話を続ける。

「晝間君が来る前にここにおった坂元君のことなんだがな……」

正嗣に仕事の引き継ぎもしないまま日本へ帰任し、その三日後に会社を辞めてしまった前任者のことらしい。

「あいつの逃亡作戦には苦労したわ」と話し出した。

安藤の話によると、坂元の退職の裏にはとんだドタバタ劇があったようだ。坂元は幾世と同期入社で、正嗣の四年先輩に当たる。

半年前にマニラに転勤してきた坂元は、仕事に慣れた着任一ヵ月後くらいから、サンタモニカ通りのミニクラブ『エルメス』に通いだしたそうだ。

エルメスという店はマビニ地区ではかわいいホステスが一番揃っていると評判の、日本人駐在員に人気のあるナイトクラブだ。その店のポッチャリ系美人のアナベルという一八歳のホステスにのめり込んでしまった。

片言の日本語を話すアナベルとの会話は仕事に疲れた坂元を癒した。店に会いに行く回数も増えると、さすがにサラリーだけでは回らなくなり、日本から持参した貯金も飲み代に当てるようになった。それではこの先続かないと考えた坂元は、店外でアナベルと会うようになった。

アナベルは同じ店で働くリタという子と二人で部屋をシェアしており、坂元がアナベルと過ごす時には、リタに他の友達の部屋に泊まってもらった。会社の寮には女人禁制という暗黙の了解があったが、坂元は幾世に気づかれないよう何度か寮にもアナベルを連れ込んだ。

しかしながら、その現場を目撃しなくとも幾世には、坂元は女を連れ込んでいるんじゃないかということを気配で察していた。坂元が何度も外泊していることも分かっていたが、お互い干渉したくないので幾世はしばらく静観していた。

※本記事は、2021年6月刊行の書籍『サンパギータの残り香』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。