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25~26歳になった私は、この頃から恋ではなく、「結婚」を意識するようになった。しかし、働く時間が徐々に増えてきたとはいえ、せいぜい6時間のパートタイム。障害年金と合わせてようやく自分一人が食べていけそうな手取りだった。

そこで私は、「結婚」を見据えて、転職活動をするようになった。目標は障害者枠の正社員。求人はあったが、字が下手で志望動機もありきたりだった私は、PCで履歴書を作成し、何社となく落とされていった。遂には、一般求人に応募し、面接で障害を暴露し、泣き落としで受かろうとした私は、やはり空回りしていた。

転機が訪れたのは就職活動を始めて1年近く経った頃だろうか。

「同じ会社の人で、『キャリアコンサルタント』の資格を持っている人がいる、履歴書を見てもらわないか?」

と上司に持ち掛けられ、渡りに船、私はすぐにその人に履歴書を見てもらうことにした。

キャリアコンサルタントのアドバイスは目からウロコだった。私は、人と比べて客観的に見ることが苦手だったため、履歴書は自慢話でいっぱいだった。しかし、自分を「トータルでどう見せるか」、いわゆる、わかりやすいキャラ付けを向こうの人に想像させることができれば、合う会社に内定をいただけるのではないか。

元来、障害者雇用自体が狭き門(求人そのものが少なく、症状への配慮が許容範囲内でないと内定は難しいため)だったが、私はアドバイスを受けた後の一社目で内定を頂き今日まで勤めることとなる。その会社は印刷会社だった。

私がなぜ印刷会社に飛び込もうとしたかというと、一つは家から車で20分もかからない場所にあったこと。二つ目は、父親もかつて印刷業で働いていたこと、三つ目は根拠のない興味だ。

今までの仕事は、どちらかと言えば自治体や企業に届ける仕事で、友だちなどに説明してもあまり理解してもらえなかったが、市販の商品を作る会社で働けば、商品名を出すだけで興味を持ってもらい、話ができるというモチベーションもあった。また、そういった有名な商品を作る仕事に携わりたいという強い気持ちもあった。

幸い、その会社はほぼ定時で帰れて、上司二人も穏やかであることも功を奏し、私の会社勤めでは最長となる、丸2年を突破した。所属先は製版課で、オフセット印刷をするためのアルミの薄い版にデザインを覚えさせ、印刷班に渡すこと、印刷が終わった(インクが付いた)版は洗って保存すること、そして、保存した版のゴミなどをチェックし、綺麗にしてまた印刷班に渡すこと。

ここまでは他社の製版課と同じだが、私が勤める会社では、CADによる製品の設計、そしてデザインの編集もMacを使って製版課が行っている。特に、CADは2番目の会社でたくさん経験しているので、ソフトは違えど、操作はすぐに覚えることができた。しかし、Macはほとんど勝手がわらず、今日まであまり触っていない。

※本記事は、2020年9月刊行の書籍『バイナリー彼女』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。