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通信制高校で家に籠っていた私は、周囲から見ると浮いていた。

もちろん、過去の過ちは繰り返さぬよう、積極的な「目立ち」もなかった。また、残念ながら、成績もあまり良くなかった。そして、大学には大学の難しさがある。中学生の頃から着ている服、自分を守るための尖った言動など、私は履歴を隠し切れなかった。

「あいつの服、おかしい」

「あいつ、すぐ怒るから近づかないようにしよう」

徐々にではあるが、最初は親しくしてくれていた人たちも離れていった。それでも、私はちょっとした陰口にムキになり、自己防衛に必死だったのだ。

その結果、やはり浮いてしまうこととなり、いろいろな人に煙たがられて陰口を叩かれる存在となった。そのなかで、ギリギリ出席日数をクリアし(当時は3分の2の出席日数をクリアして6割の成績が大学で単位を取る最低条件だった)、テストもギリギリでクリアしようという将来を考えてない作戦に出た。

高校受験と同じ、何とかなる、という甘い考えもあったのかもしれない。しかし、いじめに耐え切れずに遂には「メニエール病」を患い、寝込むこととなってしまう。

メニエール病について、私の場合、最初は低い音の耳鳴りが起こり、病院で聴力検査をすると、低音の聞き取りが悪くなっており、「蝸牛型メニエール病」と診断されていた。おそらく原因はストレスと、それを発散させるためにロック音楽を大きめの音で聴いていたことだろう。

しかし、どちらも「負のスパイラル」から抜け出せない私には消すことができなかった。今でこそ馬鹿なことだと思うが、当時の私には、ロック音楽が何よりのストレス発散だったのだ。そして、「蝸牛型メニエール病」とその治療を繰り返しているうちに、遂には平衡感覚が麻痺し始め、立てなくなり、世界が回り始め、ズキズキと頭痛を伴う「メニエール病」になって床に臥せってしまった。

そのときは、将来、本当に治癒し歩けるのかもわからないほど平衡感覚が狂い、絶望の淵にあった。そこから復帰できたのは、ある曲との出会いだった。

『輝く月のように』(Superfly)。耳鳴りと頭痛、まともに歩けないなかでこの曲は周囲の力添えに気づかせてくれた。また私と同じく暗闇のなかにいたSuperflyが復活し、意識的に笑顔を見せるライブ映像は私に元気を与え、復活へと導いてくれた。