第2章 AI

第2項 属性

1 恐怖の3要素

設定された目的を達成することに於ける人工知能の、とりわけ勝負事において重要な、人間に優位する特性を挙げるなら、

・“飽きない”

・“疲れない”

・“怖れない”

の3つだろう。私はこれを、“AI、恐怖の3要素”と考えていた。飽きないから、技術の習得、蓄積をいつまでも継続することができる。虚しさに苛まれ、だれることがない。疲れないから、一つの対局を通じて隙が生じることがない。

気力は何処までも萎えず悲観的にもならない。怖れないから、ギリギリの優位でも10−0に躊躇なく冷徹に踏み込むことができる。これらの謂わば“絶対的メンタル”は、人間にない属性から導き出される強さだけに分かりやすい。対峙した人は、反(そ)り立ち浮かび上がる様な違和感を覚え戦慄するだろう。

羽生善治二冠の人工知能に対する初期のコメントにおいて印象的だったのは、羽生二冠が人工知能の怖れない姿勢(属性)を怖れている事だった。あらゆる棋士を怖れさせ、怖れられてきた羽生二冠が怖れるのは、彼が怖れる事を知らないのではなく、相手(人間)が怖れるものだから、それまでは怖れなければ良いと考えているのだろうと思った。

羽生二冠は勝負上の駆け引きをあまり好んで語らないが、勝負事は怖れさせた方の勝ちであり、先に怖れた方の負けであると考え、怖れの先後を重視しているようだ。上記の3つは、優れた剣客に求められる要素でもあるようだ。

“人斬り以蔵”こと岡田以蔵の長所と重なっている。幕末に攘夷派、開国派の垣根を越えて(そのどちらも以蔵は斬った)怖れられた屈指の剣客だ。「素振り三年で、初伝」という言葉がある。一心不乱に三年、剣を振り続ければ剣術は自得できるという。

以蔵は貧しい下士の出で、身分差別の厳しい土佐藩に生まれ、正規の道場で剣技を教わることができなかった。「そこで、樫の木刀を一本削り、それをもって……朝から晩まで骨肉の砕けるほどの素振りをした。」(司馬遼太郎氏の『人斬り以蔵』より抜粋)

真剣を好み、太刀筋速く踏み込み良く、怖れ・躊躇を知らなかった。もっとも、以蔵を抜擢(ばってき)しよく用いた武市半平太が投獄され正義の後ろ楯を失うと、精神的な支柱を失い、程なく、幕府の名もなき捕吏に敢(あ)えなく捕縛された。心乱されることなく、誘惑にもさらされず、倦怠(けんたい)なく間断なく剣を振り続けてきた人間が、切っ先1ミリの先があると見るや全力で踏み込んで斬りつけてくると思えば、多少の剣技の長があったところで、その者と真剣で立ち合いたいと思う人はいないだろう。

人間ならば、不幸な生い立ちにも決してめげない不屈の気迫や、たゆまぬ長年の鍛練をもってして漸(ようや)く達するであろう境地の属性を、人工知能は当然に備えている。力を常に存分に十全に発揮する下地が基よりあるのだ。「禁欲(ストイック)の果てに辿り着ける境地など高が知れたもの。」とは、旧くは漫画『グラップラー刃牙』の刃牙の父に指摘されていることだが、人間が成長の手段としてストイックであろうとすることとは異なり、人工知能は存在態様がストイックなのだ。強い。

怖れを持たず、無心に没頭すること。私は、秋の虫たちからそれらを学んでいる。彼ら(鳴くのは雄だ)は、秋の夜に穏やかな心持ちでいつまでも鳴いている。コオロギの成虫になってからの寿命は40日くらいで、冬になれば消えてしまう。

しかし、彼らは意に介する事もなく、揺るがず透き通ったよく通る声で鳴き続けている。種々の虫のアンサンブルは、選ばれた虫でもなく、練習もリハーサルもなく、しかしどの一流オーケストラにも引けを取らぬ見事な調和を現している。きっとそれは命の音色だからだろう。

“いつか達せられたら良いものだ”、と思いながら、私は缶コーヒーを片手に耳を澄ます。

※本記事は、2018年12月刊行の書籍『人間を見つめる希望のAI論』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。