私たちは生まれる前も生きていた

この世で肉体をまとって生きていくとき、私たちは想像を絶するほどの恩恵を受けています。

では、この世に生まれる前はどうだったのでしょうか。

昨年(2018年)、小学2年生(当時)の孫娘が夏休みに泊まりに来たとき、次のように言いました。

「誰の所に生まれてくるか、神さまと相談して3日ぐらい考えて、今のお母さんの所に生まれてきた」

と。

こういった、生まれる前の記憶は別に珍しいことではありません。また、この話が本当なのかどうか、それは誰にも証明できません。でも本当であると考えると、神妙な気持ちになります。

私には、2人の娘がいます。下の娘夫婦とは、現在、広島県の呉市内で、孫2人に私たち夫婦を合わせて6人で生活しています。3世代同居ですが、妻はいつも、同居の娘の機嫌に一喜一憂しています(2019年6月現在)。

上の娘夫婦は愛媛県の松山市に住んでいて、子どもは先ほどの生前記憶の話をしていた小学生の女の子が1人です。

私は子どもが結婚してしまえば、子どものことからは解放されると思っていました。ところがまだ、経済的なことや夫婦の仲が良くないことで、妻や私は少なからず心を悩ませています。

でも先ほどの孫の話のように、娘たちも私たちのもとへ生まれてくることを望んでこの世に出てきたのだとしたら、私たち夫婦の悩みも別の角度から眺めることができるような気がします。

そこに宇宙の計画というか、神のシナリオを感じ取ることができたら、娘たちのことも、受け入れていけそうな気がするのです。

それに経済的な支援の問題では、親に頼らざるを得ない状況に、本人たちも心苦しさを感じていることと思います。

嫌なことやつらいことも、自分にとって意味があると思うことができたら、気分が変わってきます。自分の成長に必要だから、そういう経験をしているのだと思えたら、元気が出てきます。

「意味」と「必要」は、間違いなく"元気の素"です。

神のシナリオを信じる

下の娘は中学生以降、いろいろなことで親に心配をかけました。

ところがそんな娘が結婚後、通勤先(福祉施設)から遠くなったために、早番のときに相当早く家を出なければいけないという理由で、一緒に住みたいと言い始めました。

それならということで、当時の家を壊して新しく家を建て替えることにしました。施工会社はあるハウスメーカーにしました。松山市に住む上の娘が、当時すでにそのメーカーで家を建てていて、住み心地がとても良かったからです。

私はそれほどでもありませんでしたが、妻は以前から広くてきれいな家に憧れていました。建て替えて6年が経過した今(2019年6月現在)も、住み心地は抜群です。

私から見れば、この家はホテルのスイートルームに毎日、泊まっているようなものです。毎日、拝むような気持ちになれる家です。こんな素晴らしい家に住むことができたのは、娘たちのおかげだと思っています。

ここに至るまでの流れを振り返ると、そこに"神のシナリオ"を感じざるを得ません。