病気が快復することで、医療関係者の努力に報いるという方法もあるが、ALSの闘病生活の終わりは、死しかない。一時退院さえできないかもしれない。京子が晴れがましい感謝の言葉を伝える機会は決して来ないかもしれない。京子の声を聴いた私の心がしだいにうなだれていった。

「モット、モット、多クノ人ト、繋ガッテ、イタイ。多クノ人ト、喋ッテイタイ」

私は、恥じて小さくなるだけで、返す言葉がなかった。

この病気は、進行速度も、発症する部位の順番も、個人によってそれぞれ違っていた。

ただ、眼球運動の筋肉は最後まで冒されにくいとされているが、瞳も動かなくなり目蓋が閉じられたままになって、自らのコミュニケーションの伝達方法を失い、本人の意思の全てが暗闇の中に閉じ込められてしまう「TLS」という状態になる人がいる。

TPpVを施行した長期患者の内十~二十五%の確率(報告時期によって異なる)と主治医から聞いていた。

谷底からの厳寒の突風に吹かれて、丸太の上にわずかに踏み留まっている京子の心の叫びが、誰にも気付かれないまま、闇の中に打ち捨てられてしまうようになる。パルスオキシメーターを見ると、百五十前後をまだ行き来していた。

昔、私が冗談で自分の死を口にしたことがあった。すると京子が言った。

「自分をそんなふうに言っちゃ駄目。言葉が持っている不思議な力が言った人に引き寄せられて、発言した言葉どおりなることがある。それを言霊って言うの。自分ではどうすることもできない力にすり変わるの。冗談でも言っちゃ駄目」

言霊という言葉が、声のない世界でいつしか他人の声に置き換わり、とんでもない方向にすり変わって、再び京子の中に戻ってくるという危うさに、自分の中でイメージとして結びついていった。

『今の状態で、京子の自由になる物はあるのだろうか?』

私は京子の視線から外れるように、真横に移動して、いつも彼女が見ている辺りの天井を見上げた。もうこれしか残っていないと思った。

わずかな目の動きによる視界の変化と揺れ動く不安な心。それ以外は、全て失っているのではないだろうか。良かれと思って看護師に抗議をしようとしたことが、京子の心を無視する結果になった。

『どんなことがあっても、生きていてほしい』

という私の思いが、少しだけ揺らいでいた。

※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ALS―天国への寄り道―』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。