陰と陽

学生時代を振り返ると実に極端な「陰」と「陽」が繰り返された。

中学時代は「陰」。

病気にも慣れず環境も大きく変わり、全てに不安を抱えていた。同級生は部活や遊びにとキラキラ輝いていて、なんだか楽しそうだった。

僕はと言えば、副作用でパンパンになった顔を俯き加減に隠して歩き、人と目を合わさず友達もほぼいなかった。少し「陽」があったと言えば、一人だけ一緒に登下校してくれた友達がいた。

その子は僕に子猫をくれた。いきさつはよくわからないが、表情が豊かでとても可愛い猫だった。親は僕を心配して、ペット禁止のマンションだったが、この猫を飼うことを許してくれた。ももこという名前をつけて可愛がった。ももこは20年近く生きてくれた。

「陰」と「陽」が繰り返されたと書いたけれど、中学時代はほぼ「陰」の印象だ。生きることへの執着心があまりなかったように思う。

「どーせ俺なんか!」

自分に悪態をついてひがみ、歪んで、部屋に立て篭った。薬も減らない、副作用で身長も伸びない、あるのは治らない病気だけ。

何が楽しいの? どこを見ても病気と副作用ばかりで、長くは生きられない。そんなことを知ったのもこの頃で、ジワジワと近づく死を意識すると、夜眠れなくなった。精神安定剤を飲み始めたのも中学生からだ(これは今も飲んでいる)。

しかし高校時代には「陽」が訪れる。

僕は開き直った。何かが弾けるような、飛び散るようなパーンッ!!という感覚を持ったのがきっかけだ。

そうなると、もちろん友達が沢山出来た。1年先の事より、今日を楽しく生きる。期待の持てる日々がやってきた。原付バイクに乗り、音楽テープを流し気持ち良く走る、コレコレ、コレだよ生きるって!

「楽しい」とはこのこと。勉強なんて何もしないで、友達と人に言えないような悪いことをしたり、語り合ったりした。そんな日々を重ねた結果、自ずと病気の事も副作用の事も、"大した事ないじゃないか……"、そんな風に思えてきた。友達は宝だということも強く感じた。

そして「陰」が「陽」になるちょっとしたきっかけは、案外足元に簡単に転がってるのかもしれない、と思った。